マインドフルネス 3
最近のNY Timesで、メディテーションつまり瞑想についての文章がありました(参照)。その中では、昨今のメディテーションに対する過熱ブームについて、若干批判的なコメントが書かれていました。それに対しての全世界からのコメントは500数十を超えておりました。このことからも昨今のメディテーション等に対する関心の高さが伺えます。
第45回、第48回まで取り上げてきたマインドフルネスの中にも、メディテーションは多分に使われています。しかしマインドフルネス=メディテーションということではありません。マインドフルネスは、あくまで何かに対して積極的に注意を向けるということを核としています。繰り返しのメディテーションのプラクティスの中で、このマインドフルネス特有の方法を用いさらに磨いていくわけです。
前回も申し上げたように、メディテーションへの好き嫌いはあってもよいと思います。ただ世界的にブームとなっていることは確かのようですし、マインドフルネスというものがブームにさらに拍車をかけているといってもよいでしょう。
マインドフルネスという東洋発のものが、西洋発である認知療法と合体したものが「マインドフルネス認知療法」であると言いました。ではこの東西折衷が果たしてどのように実現されるのでしょうか。前回も触れた「考え方」をどのように修正していくかという観点からもう少し述べます。
マインドフルネスでは、考えに対してそれに距離を一度置くことを行います。つまり考えを客観的にみるということです。それをマインドフルネスでは「駅に電車が入ってくる、その中に考えというものが乗っている、そして自分は電車には乗らずホームにいるままで電車を見送る」といったことがイメージとして登場します。
つまり考えというものを客観視し、それと距離を置くといったらよいでしょうか。それにとらわれないといってもよいかもしれません。この客観化をしておくということは、認知療法のやり方と重なってきます。つまり認知療法でも、考えを紙に書くあるいはある考え方のパターンとしてラベリング、つまりそれを何らかのフレーズとして表すことを行います。
ここにも、客観化という作業が行われているという点でマインドフルネスとつながるわけです。客観化を行うと、その後の作業が一気に楽になります。つまりその客観化したものをどのように扱うかという主導権がこちらに回ってくるのです。その上でマインドフルネスでは認知療法的に、考えに対してインベスティゲーション(調査)をする、考えを引き起こしている「ディープニーズ(深い所にある要求)」というものを認識したり、日々の生活の中で、自分に対して心地の良い活動を増やすなど行動変化を起こします。この部分はいたって認知療法と重なり、ここで「マインドフルネス認知療法」が完結するわけです。
マインドフルネスは言ってみれば「西洋風座禅」です。マインドフルネスというシンプルな方法が、東西の架け橋になりメディテーションと認知療法を結びつけました。第四十五回に示したように、これが科学的に効果を証明され、現代医療に取り入れられてきているということです。
ご自分がメディテーションに対して相性がいいのかどうかを試す一つの手として、headspace.comなどの無料サイトで試してみるのもいいかもしれません。
さらにマインドフルネスの効用には続きがあります。そしてこちらの方が実は本題です。
考えという、言ってみれば我々の心の中にある雑音というものを遠ざけ、その後に心がクリアになった状態を作るという大きなことが起きてきます。それは自分に対して目を向けれる、あるいは自分を知るということに対しての扉を開けるということです。我々は知識としてたくさんのことを知っているかもしれません。
しかし自分自身を知っていること、あるいは叡智(wisdom)と呼ばれるものについては、それと必ずしも比例していないということに気づきます。そしてそれは何を隠そう、幸せに生きるとか自分自身が人間として成長するということと強く関連しています。つまりどんなに社会的に何かを達成しても、幸せになれないあるいは満たされないといったことが起きるのは、このギャップから生じているといってもよいでしょう。
マインドフルネスという方法は、心をクリアにしそして自分を見るということから、さまざまな発見をもたらします。単にストレスを軽減するという作用のみでなく、自分を知る、あるいは自分を成長させる、ひょっとしたら人生についてもっとよく知るなどという非常に深いところまで達成するというのが究極的にもたらされるものなのです。そうですね、こういった話になるとかなりスピリチュアル的な要素が加わっているように聞こえるでしょう。
スピリチュアルとは、きっと生きる叡智であり自己成長と無縁ではないのでしょう。「自己啓発はいいけどスピリチュアルは」というのは、同じものをラベリングで好き嫌い分けているのかもしれません。マインドフルネスは、単純明快な入り口から科学の根拠を携えて多くの人々にこの人間として知っておきたいことへの道を開いたといってもいいでしょう。科学的根拠を重んじる医学そして医者の立場としての私から見て、この方法が多くの方に導入されやすいということは感じますし、そしてその効果を感じうるということは実感しています。
マインドフルネスのなかには「自分にやさしくなること」ということが切っても切れない命題として出てきます。長い経験を持った人は言います。現代は「自己嫌悪」の時代だと。トラウマを経験することも少なくなく、自分を責めたり、恥じたり。そんな「悲しい」時代に我々は生きているのです。マインドフルネスを通して「self-kindness, self-compassion」を取り戻していくことが、ことのほか大きな効果をもたらします。
アメリカでは、政治や教育をマインドフルに行うということが、まことしやかになされています(議会でマインドフルネスが用いられるなど)。アメリカ人はとかくほめられて育っていてポジティブでという面で語られがちですが、多くの人が成功を宿命づけられ、自分に鞭打つことで生きてきています。その文化のなかで、彼らが自分にやさしくなることに難しさを感じていることは事実です。自分に厳しいのは日本人だけではないのですね。
このような時代だからこそ、マインドフルネスがブームになっているのです。グーグルがSIY (>Search Inside Yourself) という社員研修でマインドフルネスを取り入れるのも、集中力や生産性のアップ(そういった主旨の出版が多いですが)が目的ではなく、会社が社員に対してやさしくするという実践なのです。