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マインドフルネス 2 – 比較文化論

第45回でマインドフルネスについて取り上げました。この概念について日本人の方の反応は二分されます。ご興味を持つ方、そしてオリエンタルなものへの抵抗感から敬遠される方。これは一つの方法ですから、取り入れるかはご本人の好みでよいと思います。この反応の分かれ方とマインドフルネスという概念には関係があります。

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マインドフルネスは前回書いたように、西洋人が東洋から持ち帰った概念が始まりです。しかし西洋での定着までの道は決して平坦ではありませんでした。ヒッピー系の人たちがサブカルチャーとしてもてはやし、限られた人のみが興味を持つという時代もあったようです。紆余曲折を経て、しかし、今の欧米におけるブームとなったのには幾つかの理由があると思います。

  • 宗教性を排除していること

  • スティーブ・ジョブズなどの著名人が傾倒したこと

  • グーグルなど大企業が社員研修に取り入れていること

そして、これは欧米人の才能だと思うのですが、彼らはこの曖昧模糊な概念を明確にしました。原始仏教の内容のうち、エッセンスのみを抽出しています(ですから、仏教者の方の中には、マインドフルネスに不十分感を持っている人もいるようです)。

 

さらに、東洋発のものにありがちな科学的根拠を欠くという点を補いました(マインドフルネスの脳科学的効果、うつの予防効果、集中力の改善など)。そして、これを多くの人が分かるように構造的な教育マテリアルにしたのです。おかげで東洋の神秘は、ついに欧米で大ブレークしたのです。日本人あるいは東洋人と西洋人がこの概念をどう受け取るかは、比較文化的に非常に興味深いものがあります。

Forest Trees

自国の文化を嫌って、あるいは自分に合わないという理由でそれを後にしてきた人にとっては、それが再び面前に現れることに抵抗感があるかもしません。一方、ロサンゼルスにいる日本人として自らの東洋性と西洋化した部分をこのマインドフルネスという概念の中に発見して親近感を持つ人もいるでしょう。西洋人の方がどのようにこの東洋的なものを受けとめているかも興味深いです。西洋に生まれながらにして東洋的なものに興味を持ってる人は少なからずいらっしゃいます。生まれに関係なく人間は引き寄せられるものがあるということでしょう。

マインドフルネスの骨格は何かに積極的に注意を向けることです。東洋で長くプラクティスされたこの概念が、東西を越えて人間にとってある効果をもたらすという発見は、実はとても非常に興味深い現象です。つまりその人のバックグラウンド(環境、遺伝子)に関係なく人間にユニバーサルに通じるものだったのでしょう。

 

マインドフルネスを通して心に静けさがもたらされるという方は多いです。それのみならず集中力がさまざまな分野で上がるということも効果として気づかれています。何かに注意を向けるという非常にシンプルなことがこのようなことをもたらすという大きな発見と驚きは、東洋西洋を越えて世界を駆け巡っています。

マインドフルネス認知療法は「マインドフルネス」という東洋発の部分と「認知療法」というアメリカ発の部分が融合されています。前者では考えを客観化して第三者的にみる、そしてそれに深くとらわれないということをやります。一方認知療法は、考えに対して積極的に働きかけそれを修正することを論理的にやっていきます。どちらも一長一短があるかもしれません。

 

ただ、これらは融合されうるものであることは確かなようです。考えというものを客観的にみるという姿勢をまず作り、そこからソフトにジェントルにそしてカインドに考えというものを緩やかに良いほうに持っていくということがマインドフルネス認知療法です。

Wind Turbines on Water

何かに注意を向けるといいましたが、それは複雑なものではありません。普段我々が何気なく見過ごしている呼吸、体の感覚、そして今という時間などです。それらに注意を向けながら考えというものを客観的に眺めてみることから始まります。「monkey mind」とアメリカ人は表現しますが、頭の中で浮かんでくる雑多な考えというものは必ずしもあなた自身ではありません。

 

さらにはそれらの考えが事実であるという根拠はありません(少なくともマインドフルネスではそう疑ってかかります)。例えれば、青空という心の中に浮かんでいる雲が「考え」だというわけです。それを外から眺めそしてそちらに意識が引っ張られたときには、繰り返し自分の注意を呼吸などに向け直します。

マインドフルネスの概念を皆さんに伝えることには苦労します。非常にシンプルな定義の背後にある大きな世界を説明することは短い言葉では簡単にできないという、実はマインドフルネスという概念の性質自体を体現しています。

 

しかしそこには僧侶の修行のような痛々しい要素はありません。楽しみながらその未知の世界にシンプルなことを繰り返し繰り返し取り組みながら近づいていくといった感じです。西洋流の論理的な方法だけでは追いつかず、あるいは何か物足りなさを感じていた西洋人にとって、これは砂漠の泉でしょう。

Hands

このマインドフルネスをきちんとした形で進めていくにはそれなりの方法が確立されています。さまざまな手法を系統的にこなしていきながら、あなたのマインドフルネスというものを育てていくという感じです(座禅のような全く道の見えないといった要素はありません)。そこに、スピリチュアリティーというものは、ヨガをやるのと同じぐらいひょっとしたら入っているかもしれません。でも抵抗感のある方には程よい分量のブレンドです。

 

西洋人の方がマインドフルネスについて語るとき、彼らが得意の合理的な考え方でなく、曖昧なことを口にしている様子は東洋人の我々には非常に新鮮ですし、東西を超えた融合をそこにみるわけです。国境や文化の境がなくなってきたグローバルな世界の流れがこれを可能にしたのでしょうか。

東洋人の方、西洋人の方にかかわらず、マインドフルネス認知療法というユニバーサルな方法にご興味のある方は是非一緒に取り組んでみましょう。

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