第31回にあるように、人間の精神世界は現在の科学では割り切れていない部分が多々あるわけです。

南米ペルーへ行くと、日本の昔の原風景をみるようだと言った方がいますが、なぜかそこは懐かしさを誘う土地です。

ペルーには、シャーマンという方たちが今もいます。日本語にするなら、呪術師、祈祷師、巫女さんなどにあたるのでしょうか。

女優のキャメロン・ディアスさんが、あるテレビ番組でシャーマンの儀式をうけた様子が描かれていますのでご参考までに(*1)。

ペルーといえばインカ帝国が存在した国です。

インカ人は独特の宇宙観と宗教観を持っていたとされます。宇宙を三つの領域、つまり天上、地上、地底とし、それぞれは聖なる動物、コンドル、ピューマ、蛇と関連づけられていました。人間は知性を持つことこそがその存在をユニークにするとされ、インカが天文学や数学、建築学で優れていたことはそれらを有用視していたことの表れです。あの時代に科学の重要性を知っていたことはある意味驚きです。

あのマチュピチュはなぜ作られたのかは異論がありますが、宗教上の聖職者が修行を受ける場所だったとの見解もあります。近接したワイナピチュが女性用の訓練所だったとも言います。太陽の神殿は首都クスコにあったメッカですが、ここには当時、聖職者、見識者があふれていたともいわれます。

二元性(ヤナンティン)はアンデス世界の宇宙観として最も重要な概念のひとつです。太陽は父あるいは男性、月は母あるいは女性など、対になる二つをもってみる価値観があります。「コリカンチャのケルカ」とよばれる報告書はインカ世界の宇宙と宗教概念を表現して有名ですが、そこには二元性が顕著に示されています。

太陽の神殿を中心とした街の放射状構造、天の川の形状への意味づけなど、ペルーにはいたる所にスピリチュアルな「意味」がみられます。

インカ帝国はその後スペインに征服され、キリスト教がとってかわることになります。スペイン人がインカの建築の上に新たな建造物をつくることでその刷新を図ったことは有名ですが、残念ながら人の手垢がついた宗教的行動がインカ本来の純粋な原始信仰を過去のものにしてしまったのです。今も残るシャーマンなどが、その歴史をいまに伝えます。

シャーマンの末裔の方に儀式をしてもらう機会を得ました。場所はインカのかつての首都クスコとマチュピチュの中間にある「聖なる谷」でした。

車座になり、シャーマンの末裔による祈りの声と笛の音が響きます。コカの葉は現在でもお茶にすることで供されますが、彼はこれを用いて占いをします。また、儀式ではある幻覚作用のある飲み物を用いることもあります。

 

それにより亡くなった方もいるようです。ネイティブ・インディアンは熱した石から発生する蒸気をテント内に充満させ、長時間にわたって歌を唱える儀式を行うようです。形こそ違え、様々な儀式には意味があります。

インカの時代からそんなに大きく変わってないこの土地で、厳かな笛の音をききながら自らの内面世界を観るのは、なんとも不思議な体験でした。

シャーマン曰く、ペルーのこういった宗教・信仰観とチベットあるいは日本の神道は通じるところがあるのではないか。これらの土地を巡った彼の経験からです。アミニズム的な要素、原始信仰的な要素につながりがあるのでしょうか。現代はインカの時代よりも明らかに科学が進歩しています。そしてスピリチュアリティと信仰は幾分現代的になりながら脈々と続いています。

宗教と進化論が衝突することはままあります。神が我々をつくったものとする宗教に対し、科学的な理由で説明するのが進化論。Stephen Hawkingは「重力と量子論があれば創造主は必要なく、無からこの宇宙は創造できた」といっています(*3)。「Intelligent Design」という中間をとった理論を教科書に加えようという動きもあったりしたようです。

「Simulation Theory」というのがあります。巨大なコンピュータがあり、我々が現実と思ってみていることが、すべてコンピューターでシミュレーションされていると考えるのです。たとえばある部屋でテーブルを見たとしましょう。その部屋を出た後、我々はそのテーブルがなおその部屋のなかに存在していると考えますが、実はその保証はありません。

 

我々が「見る」ものをもとに、勝手に現実を構築しているということでしょう。Stephen Hawkingは「「我思うゆえに我あり」であり、視覚的情報を通して「世界」を構築している我々自身が宇宙であるとも考えられる」というようなことを言っています。(*2

またStephen Hawkingは、「God may exist. But science can explain the universe without the need for God.」と言っています(*3)。

我々と宇宙の創造をめぐって、科学とスピリチュアリティのせめぎ合いは続くのです。

「千日回峰行」というものがあります。これは仏教の修行であり、奈良県吉野山の山岳48キロを1日で往復し、計四万八千キロを歩き続ける難行です(『人生生涯小僧のこころ*4』塩沼亮潤著、致知出版社)。さらにその後、四無行「断食、断水、不眠、不臥」を九日間します。亡くなる方もいる過酷な修行です。

 

その先にある宗教的、あるいはスピリチュアルな開眼を目指して人は信じられないことを試みるのです。四国八十八箇所、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路も同様に考えられるのでしょうか。

我々の起源を科学的に説明しようとする者、片やスピリチャルな世界を追求しようと命を賭する者。どちらも「人間」なのですね。

科学がすべてを説明する日が来たら、「人間」はかえってつまらなくなると思いませんか?