耐久レースとこころ

映画『フォレスト・ガンプ』が20周年を迎えたそうです。フォレストが母を失った傷心のなか、ふと走り始めるシーンが印象的でした。

先日私の友人が、マダガスカル島250キロ耐久レースを完走しました (*1)。

40度近い気温のなかで、道なき道を走る過酷なレースです。食料は持参。10キロほどの荷物を背負い、毎日フルマラソンほどの距離を一週間走り続けます。足の爪は剥がれ、シャワーもないので化膿することもあるそうです。熱射病で脱落する人も多かったようです。男性2位、女性1位ということで、日本人の活躍が印象的でした。

友人曰く、レースで最も求められたのは「精神力」。身体能力よりも、くじけそうになる時の精神力が不可欠だそうです。この耐久レースシリーズは4Desertという団体が主催しており、チリのアタカマ砂漠、中国のゴビ砂漠、ヨルダンのサハラ砂漠、そして南極が4つのメインレースとなっています。想像に難くなく、いずれも過酷な条件の場です。

このようなレースを転戦する人たちは一体どんな人たちなのでしょうか。友人に聞くと、(予測通りと言いますか)変わった人たちが多いそうです。つまり、マダガスカル島のレースを終わった直後に、すぐ他の過酷なレースや登山へ向かう人も多かったそうです。

このレースで総合優勝したRyan Sandesさん(*2)は、この手のレースの世界ランキング1位の方だそうで、4Desertの4つのレースを初めてすべて勝った人物です。彼の走るビデオをご興味あればご覧ください。颯爽と走る様子の気持ち良さは、人間の原始記憶をくすぐります。マダガスカルレースでも、最終日の距離を1マイル6分台で軽く走り抜けています。

If you are losing faith in human nature, go out and watch a marathon.

― Kathrine Switzer, 26.2: Marathon Stories

彼らの特徴について、Forbesのある記事(*3)では、継続性(persistence)、終わりのない好奇心(endless curiosity)、失敗に対する恐れのなさ(lack of fear)、そして勇敢さ(boldness)をあげています。さらには痛みに対峙し耐える力、またそのために自らの意識を反らすことができるスキルなどについて触れられています。

 

さらなる挑戦を求める傾向、長距離でも目前の一歩一歩にフォーカスすること(one foot in front of the otherとよくいわれますね)、妥協のなさ、自分自身と戦う姿勢、失敗時の処し方(限界を常に押し上げることに傾注し、その必然としておきる壁を次への糧とする)、苦渋の中に意味を見つける、フィニッシュするための道を必ず見つける、なども彼らの性質として挙げられています。

フォレスト・ガンプに例えられるウルトラマラソンマンのDean Karnazesさん(*4)は言っています。

I run because if I didn't, I'd be sluggish and glum and spend too much time on the couch. I run to breathe the fresh air. I run to explore. I run to escape the ordinary. I run…to savor the trip along the way. Life becomes a little more vibrant, a little more intense.

― Dean Karnazes, Ultramarathon Man: Confessions of an All-Night Runner

彼は不摂生な人生を送りながらバーで迎えた30歳の誕生日の夜、自分の人生が嫌になり、突如バーを出て30マイル走ります。自ら誕生日を祝い、人生を変えるために(*5)。

リスクの高いスポーツをするアスリートの生物学的特徴も研究されています。スカイダイバーやロッククライマーなど危険へと向かうアスリートには、ドーパミン系の特徴がいわれています。ドーパミンという脳内物質は、運動、意欲、快楽、学習など様々な脳機能に関係します。このドーパミンの受容体や関連酵素の多様性に、これらアスリートに特徴的な傾向が見られるようです。

 

New York Timesのあるブログ(*6)では、危険を冒すアスリートには体内を循環するドーパミンが少ないこと、それによりアドレナリン過剰の状態(興奮時)が起きにくいことが原因の可能性が触れられています。興奮の体内反応が起きにくく、それを過剰に求めるために過激なスポーツへ走るという仮説です。マダガスカルレースなど過度の耐久レースに参加する彼らの背景にはこういったことがあるのかもしれません。遺伝的、そして脳のつくり的にも、こういったアスリートの特徴が規定されている可能性があるということです。

一方、その独特のペースで長時間・長距離をというのも耐久レースの特徴です。20周年を迎えたフォレスト・ガンプですが、彼はある日「特に理由もなく、ちょっと走りに出かけます “That day, for no particular reason, I decided to go for a little run”」。そして、3年2ヶ月と14日と16時間走り続けます。西はサンタモニカから東はメイン州の大西洋まで行き来します。

 

走る最中、テレビ局のインタビューで「なぜ走るのか」と聞かれ、「ただ走る気分だったから ”I just felt like running”」と答えます。そして走り終わる理由は、「疲れた”I'm pretty tired…I think I ‘ll go home now”」から。彼の生い立ちから走ることは特別な意味があったのと同時に、人間は訳もなくただ走ることでこころを癒すこともあるのだというふうにもとれました。

「走ることに」については様々な格言があります。なぜか人生に例えられることが多いのです。

Running is the greatest metaphor for life, because you get out of it what you put into it.

― Oprah Winfrey

Running is about finding your inner peace, and so is a life well lived.

― Dean Karnazes

Run when you can, walk if you have to, crawl if you must; just never give up.

― Dean Karnazes

For me, running is both exercise and a metaphor. Running day after day, piling up the races, bit by bit I raise the bar, and by clearing each level I elevate myself. At least that's why I've put in the effort day after day: to raise my own level. The point is whether or not I improved over yesterday. In long-distance running the only opponent you have to beat is yourself, the way you used to be.

― Haruki Murakami, What I Talk About When I Talk About Running

伴う「痛み」についてもよく書かれています。

…pain seems to be a precondition for this kind of sport. If pain weren't involved, who in the world would ever go to the trouble of taking part in sports like the triathlon or the marathon, which demand such an investment of time and energy? It's precisely because of the pain, precisely because we want to overcome that pain, that we can get the feeling, through this process, of really being alive--or at least a partial sense of it.

― Haruki Murakami, What I Talk About When I Talk About Running

そしてこれは私の好きな格言で、トライアスロンのバイクからランへ移行する最もきつい時に、コース際に書かれていたのがなんと救いになったことか。

Pain is just weakness leaving your body.

― Unknown

人生そして痛みについて、耐久系のレースが教えることは、ひいては人生という長い道のりを乗り切る「こころのあり方」に多大な示唆を与えます。私個人として思うのは、こういったレースは以下の意味で特に教訓があると思います。

  1. ゴールが見えないこと。ゴールを意識しないで、目の前の一歩に集中する。

  2. 痛みが伴うこと。ストレスや困難がありながらも進んでいくこと。

  3. 自分自身との戦いであること。他者との競争でなく、自らの限界、現在の自分を越えることに傾倒すること。

  4. 単調であること。同じことの繰り返しを続けることの難しさ。

  5. フルスピードでなく長時間に及ぶこと。人を考えさせ、癒す。

どこか人間の生きるペースとつながるのでしょうか。禅の中で「歩行禅」という歩きながらの禅があります。「アルコール行軍」というアルコール依存のためのリハビリでは、何十キロも集団で歩きながら自己の内面をみつめます。このスピードと長さでなければ得られない気づきや癒しがあるのではないでしょうか。

社会がリスクを避ける傾向が進む現代においてその反動なのか、極端なスポーツが活発になっていることが指摘されています(*6)。過酷なレースを好む彼らは痛みや試練がないことをむしろ嫌うといいます。これは元来、痛みを避ける西洋文化とは相いれないと思われます(*3)。

 

一方、東洋文化、仏教では、人生はつらいものとされ、試練に耐えることの美徳と意義が説かれる傾向にあります。東日本大震災のとき、日本人の忍耐力に世界が驚きました。「しょうがない」という独特の対処様式も災害に見舞われてきた日本人の耐久性と無関係ではないでしょう。マダガスカルレースもそうでしたが、マラソンなど耐久系レースで日本人が活躍するのもそういった背景でしょうか。