「フェイスブックを始めてから、もっと孤独を感じる」。

 

さて、「フェイスブックの心理学」 第2回は、ソーシャルメディアは、なぜ人を孤独にするかです。

上記の発言は、以下のような場面で出てきました。 フェイスブックをしていると、どんどん友達ができる、音信がなかった古い友達ともつながっている、でも彼らの生活をフェイスブックで読む・知るにつけ、自分が取り残されているような気がする… あの人たちはこんなに活動的で人生を楽しんでいるのに、私は…。

ソーシャルメディアでよりつながっているはずなのに、かえって孤独を感じるとは皮肉ですね。 一時代前に、コンピューターやメディアの発達で情報量があふれ、その洪水の中で混乱している (溺れている) 人々を揶揄していましたが、それに似ている気がします。 つまり、ソーシャルメディアは一種の 「情報の洪水」 をもたらし、それが故に自分を顧みて孤独感が浮き彫りになる、という面があるようです。

ソーシャルメディアの心理学を分析するうちに、出会った本のひとつに、「Alone Together (文献1)」 というのがあります。 核心をついた素晴らしいタイトルだと思いますが、この本の中では、本来人間は孤独感に対する脆弱性 (弱さ) があると指摘されています。 そして 「常につながっていたい」 という非常に強い願望があるとも記しています。 つまり人間は社会的な生き物であると言われていますが、ソーシャルメディアはこの人間の願望に大変魅力的なチョイスを提供した訳です。

 

また著者は、幻肢 (ファントムリム) と表現していますが、自分の携帯が鳴っていないのに鳴っているのではないかと思い込む、それくらい外からの連絡に過敏になっている我々がいる訳です。 人から連絡 (この場合、テキストやソーシャルメディア) があったら、それにすぐ気づいて応答できるようにということです。 逆にしばらく応答しないと、取り残されてしまう…。 第1回でふれたソーシャルメディア依存とも関係してくるのですが、とにかく携帯から離れられない。 それはとりもなおさず、自分が友達や社会の輪から取り残され、一番恐れている 「孤独」 にならないためなのです。

こんな話があります。 ある人が自分のビジネスを宣伝しようとしました。 ソーシャルメディアを使い宣伝を打つのですが、反応があるかないかと非常に心細くなっているのです。 目に見えない人々の反応を対象にするというのは、現実の世界で相手の顔を見ながらとは違う緊張があります。 そして反応がなければ、暗黒のような孤独が襲う。 宣伝・広告にはつきもののことなのかもしれませんが、これもつらい孤独です。

また 「The Church of Facebook 文献2) という本が出ています。 つまり、ソーシャルメディアによってつながり、形成されたバーチャルの世界が、この現実の世界以外にあるのです。 一見、孤独で社会性のないようにみえる人々が、バーチャルの世界ではつながっているのです。 何とも不思議な感じですね。

そして、そのバーチャルの世界にも、現実の世界のように、それ特有の孤独というのがあるということでしょうか。

このバーチャルの世界は、現実の世界とは様々な点で異なるようです。 この世界で発言権が強い人々は、ナルシスティック (自己愛) な傾向が強いことがデータとしていわれています (参照)。 また、現実の世界で物静かな人が、バーチャルでは何とも活発な違った顔を見せるというのもあります。 つまり、バーチャルの世界では、違う自分の顔が出てくる素地があるということです (それを生む特有の社会システム基盤なのでしょう) 。

バーチャルの世界には、本当でないことをあたかも本当のように自慢するように書いたり、自分が非常に活動的で充実しているように誇張したりする人々がいるようです。 上記したように、自らの生活と比較してさびしさを感じたり、つまはじきにされたように感じる人がでてきます。

 

このバーチャル世界 (社会) では、トロール (Troll) と呼ばれるひどいことを言い他人を傷つける人も存在します。 架空の自分 (Avator) をこの世界に疾駆させ、その充実に力を注ぐ人 (現実の世界よりも)。 この世界では、仮面をかぶれます。 それこそ、デジタルネット上では写真に映った顔のしわが修正できるように、ペルソナ (仮面) を着けて役を演じれるわけです。

インターネットが世界をつなげ、遠く離れたコミュニケーションが可能になり、離れている分、事実の確認ができないわけで、このような虚構がまかりとおるわけです。

では、一般に、その人の人間性はソーシャルメディアの世界でどのように影響するのでしょうか?

自尊心の低い人はバーチャルの世界でも好かれないという悲しいデータもあります (参照1 / 参照2)。 理由はというと、彼らはネガティブな感情をよりネット上で表現するためのようです。 逆にポジティブなコメントをする自尊心の高い人は、より 「いいね」 をもらうというデータがあります。 自尊心の低い人が、ネットで無視をされることでどのような影響を受けているかは分からないけれども、つらい気持ちがもたらされていることを想像することは難しくないでしょう。 『Facebook Depression』 という言葉も生まれています。

さらにその人の人格が、フェイスブック上での人気にどのように影響するかを調べた人もいます (参照)。 Extraversion (外向性)、Emotional Intelligence (感情知能指数の高い人 : 人の気持ちがわかって温かい)、Machiavellianism (マキャベリズム : 感情的にクールな人) の3パターンについて、ソーシャルネットワーク上での交友活動をみると、Extraversionはもちろん、後の二者はいずれも正の相関、つまりより良い交友関係を示しているようです。 これはネットワーク上の 「強い」 つながり (人間関係) を Emotional Intelligence が担い、「弱い」 つながりを Machiavellianism が担うという分業があるからではないかとの考察でした。

つまり現実の世界も、ソーシャルネットワークのバーチャル世界も、やはり人気のある人が交友関係が豊かになるわけで、また人気がそこまでない人たちは、やはり 「孤独」 が生まれる可能性があるわけです。 ただ上記のデータによると、現実の世界ではクールで交友関係が乏しい人も、弱い交友つながりとしてネット上特有の交友関係を築けるチャンスが示唆されているように思います。

また #digitalvertigo (文献3) という本にも出会いました。 著者は、自らを暴露するこの現代 (ソーシャルメディア上で)、その表現の自由というか、それが守られるべき事を主張し、はたまた、それを抑圧する “ビッグブラザーズ”の動きに対して警告を発しています。

このバーチャルの世界は、人間により合っているのかどうか? 上記の本の中で興味深い事が書かれています。 ある学者は、人間は一度に持てる友人の数には限度があるというのです。 その数は、150人だそうです。 フェイスブックで300人も同時に “ともだち” を持つというのは、現実の世界では到底無理であることをしているというのです。

ところで、ある研究結果でも示されていますが、フェイスブック上でより多くの “ともだち” を持っているフレッシュマンは、現実の世界では自尊心が低かった、あるいは社会的適応がより悪かったようです。

前述の 「Alone Together」 のなかの印象的なエピソードに、家庭教師として、ある家を若い女性が訪れるシーンがあります。 母親がドアを開けると、その女性の携帯を持つ指にはテーピングがされていました (どうやらテキストをタイプしすぎてのようです)。 母親は彼女を家に招き入れ、自分の部屋にいる娘の都合を聞いてきてくれと言います。 すると、この家庭教師の女性は、娘の部屋のドアの前に立ち止まり、ノックをして入るのかと思うと、おもむろにテキストをタイプして娘に送ろうとする、という話です。 ドアのすぐ向こうにいる人にもテキストをするという、何とも奇妙ですね。

これは次回のテーマになると思いますが、バーチャルと現実の2つの世界においてコミュニケーション形態は、随分異なっています。 バーチャルの世界で慣れきった人は、現実の世界との行き来ができるのでしょうか? 現実にそぐえないという場面が起こってくるのでしょうか? 上記の家庭教師の話は、すでに答えを示唆してくれているかなと思います。

「Alone Together」 の著者はこう書いています。 かつてコンピュータは人間に使われるものとして導入された。 しかし今やコンピュータ上で、キラーアップ (コンピュータ上で動くクールなアプリケーション) は人間そのものだと。 言ってみれば、人間がコンピュータに逆に使われるという、映画 『2001年宇宙の旅』 のような人類が持つ永年の懸案を謳っています。 確かに、ソーシャルメディアというツール (道具) が与えられた事で、人間が便利になると同時に、ある変化を強制されている部分があるかなと思います。

彼らの講演がYouTubeに載っているので参考にして下さい。

また様々な意味で、バーチャルの世界 (ソーシャルメディアの世界) の人間関係に戸惑う人も多いようです。 「 “ともだち” との距離をどこまでにしたらよいのか?」 「 “ともだち” ? それとも? 」 「見たくなかったものをつい見てしまった。」 などなど。 現に、この世界でのやり方に疲れ、混乱し、その世界で 「溺れて」 しまい、もうリタイアする! という人も少なくないようです。 そういった問題に、解決策を説く本も出ているようです。

ところでアメリカで 「孤独」 を感じている人は、思いのほか比率が高いと言われています。 10−30%は下らないとの見立てです。 社会学者のDavid Riesmanは、我々を “lonely crowd” と評したそうですが、大事な社会問題です。 孤独をポジティブな現象と捉えようという本も出ているくらいです (参照)。

また先に 「人間は孤独に弱い」 と言いましたが、逆に孤独を好む人々も少なからずいます。 このソーシャルネットワークの時代は、これらの人にとって “Leave me alone! どうか自分を1人にしてほっといてくれ” と言いたいでしょう。

一方で、ブログやソーシャルメディアが人々の孤独を癒してきたことは間違いありません。 一般に、感情や想いを言葉として表出することは良いとされていますが、ブログやTwitterなどで、普段他人に語れなかった部分、あるいは自分でも気づかない心の内を出すことによるポジティブな心理効果は計り知れないでしょう。 現に、ブログで 「社会的な統合感 (つながっている感じ) 」 が得られ、幸せを感じるとの研究結果もみられます (参照1 / 文献4)。 さらに、ブログにより友情関係が改善する、安心感がもたらされる、Twitterにより “ambient awareness” と呼ばれる友人の生活・存在を常に感じられるといったメリットも報告されています。 ぜひ参考までにご覧下さい。

ソーシャルメディアがもたらす色々な変化やメリット・デメリット、人間関係・コミュニケーションの変容。 新しいテクノロジーがこれまでもそうしてきたように、人間はそれがもたらす予期せぬ、あるいは気づかない変化に戸惑います。 バーチャルの世界でつながった子供達が、将来社会的にどのような人間像をみせてくるのか… 非常に興味深いですね。

ティーンエイジャーとソーシャルメディアについて、上手くまとめてあるサイトを見つけましたので参考にして下さい。
これによると、9割のティーンエイジャーがソーシャルメディアのアカウントを作ったことがあるようですね。
http://www.alive.com/articles/view/23615/teenagers_and_social_media

「フェイスブックの心理学」 第3回では、コミュニケーションの変容にさらに迫ってみる予定です。