12月7日に、「うつ治療 最前線 — 薬を使わない治療 — 」 というタイトルでセミナーをさせていただきました。
私は薬物療法に対して否定的ではありません。 実際、必要な時には処方をさせていただく立場にあります。 その一方、「薬を出したら終わり」 という診療には 抵抗感をもっている一人です(残念ながらまだ日本の診療はこれが多いと聞きます)。 薬物療法の効果は日々経験していますし、その選択肢の重要性は心得ています。 もしその選択肢が必要な場合は、その意義をご理解いただいて、改善への手助けをするのは我々の役割の一部であることに違いはありません。
ですが、同時に日々の診療で感じることは、人間の 「こころ」 「脳」 がいかに複雑であるかということです。 いや、「人間」 がいかに複雑かといってもよいでしょう。 薬、あるいは、「セロトニン」 といった脳内物質のひとつが、人間の感情のすべてを改善するのに万能であるはずがありません。 「うつ」 という状態ひとつとってみても、本当に千差万別です。
今も印象に残る New York Times Magazine の記事があります。
"Did Antidepressants Depress Japan?" (うつの治療薬は日本人を落ち込ませたか?)(参照)
この記事の中では、いかに日本人が従来 「悲しみ、苦悩」 ( 「気がめいる」 など、日本には特有の表現がより慣習的でした) を自然に受け入れてきたか、そして欧米の製薬会社がそれを突破し、日本人が 「うつ」 に気づき、どのように薬物療法を受け入れていったかの過程が書かれています。 「人生に苦悩はつきものとして受け入れる」という日本人の仏教的思考、精神性を、「うつは病気」 として啓蒙することで、変えていったということでしょうか。 ここにも、蒙古、黒船の襲来があったということでしょうか。
Thomas Hardy は 「What we gain by science is, after all, sadness (科学によって我々が得たものは、結局、悲しみである)」といったそうですが、それに対して、「These days, we may lose even sadness (今の時代は、悲しみさえ奪われてしまう) 」 と記事は結んでいます。 日本人元来の精神性を変えたこと、製薬会社の利益主義、結果としての 「うつ」 の過剰認識と治療、を皮肉っていると思われます。
おそらくアメリカでも、「うつ」、「薬物療法」 を受け入れていく同じような時代はあったと思います。 それが少し日本より早かったということでしょう。 繰り返しになりますが、お薬が必要な選択肢となる場面は間違いなくあります。 それで救われた方が多いのも確かです。 日本では、この欧米のうつ治療薬 (パキシルというものでした) が1998年から発売され、その後、販売が急増します。 現在ではさらに種類が増えていっています。
さて、このお薬への抵抗感は、日本に限らず幅広くみられるものです。 薬の服用は、自分の状態が病気だというイメージを植えつけがちというのもあるでしょうし、外部から不自然なものをとる抵抗感がつきまとうと思います。 その適応を正確に判断し、他の治療とうまく組み合わせていくことが肝要です。
「うつ」 は多分に連続性のある状態です (製薬会社の理論ではなく、悲しみを指すものとして)。 何かささいなことで一瞬落ち込むのも 「うつ」 ですし、髪に櫛をいれるのもつらいぐらい重度の 「うつ」 もあります。 英語でいう 「うつ」 は、「Depression」 ですが、この単語は、地形のへこみや、経済の失速など、英語を使う人間にとっては、うつ 「病」 以外の様々なものを含む、よりソフトで、連続性をもつ言葉のようです。 一方、「気がめいる」 「気がふさぐ」 「気がおもい」 などが表現だった日本人には、上のような経緯で、「うつ - Depression」 という概念は特異な形で浸透していったようです。 「うつ」 という言葉がより医学的用語に聞こえ、その本来指し示すものがもつ連続性を失わせた部分があるのでしょう。 今思えば、「プチうつ」 「新型うつ」 などの言葉は、「うつ」 という言葉の強さを和らげ、連続性を回復させる作用があるのでしょうね。
もちろん、「うつ」 イコール 「薬物療法が必要な病気」 ではありません。 その程度や特性によって、様々なケアの選択肢、組み合わせが考慮されるべきなのです。 そこで、セミナーの話に戻るわけですが、お薬をつかわない治療について私はこう結びました。
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カウンセリングは無難によい。
害も少ないし、人間の複雑さを扱うにはよい。 効果もまずまず。 キーワードは 「認知行動療法」 です。
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食事、運動療法は、科学的根拠はぼちぼちで、でも基本としてやったらよい。
その内容、適応は医学的アドバイスを要しますが。食事についてのキーワードは 「地中海料理」 です。
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サプリメント、Natural products (ハーブなど) は工夫としてはよいが、やりすぎは注意。
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これらにも副作用はありえます。 その中でも科学的根拠があり、比較的有望なものを御紹介しました。
もちろん、これら以外にも様々なアプローチがあります。
あなたの状態にあわせて、専門家と相談しながら、治療、予防法をアレンジしていかれたらということです。
それから、お薬以外の最新の治療として、rTMS (Repetitive Transcranial Magnetic Stimulation 反復経頭蓋磁気刺激法) があります。(図1.参照)
セミナーでも、この治療は新鮮な驚きをもって迎えられていました。 rTMSは 「磁気」 を使った全く新しいタイプの治療です。 体の内部写真を撮るMRIというテストをご存知ですか? あれも同様に磁気を使います。 うつでは特に、左の前頭葉 (脳の前の方) の一部の活動低下がみられることがわかっています。 (図2.参照) rTMSでは磁気を頭皮の上からあてることにより、その脳の部分の活動を上げるのです。 右の図はrTMSによって、活動があがった脳の部分が赤と黄色で光って示されています。 刺激は磁気ですので、副作用はほとんどありません (一般に軽度の頭皮の違和感、頭痛などです)。 非常に局所的に治療を施すので、副作用が全身的にみられないという利点があります。
これまで様々な研究で、この脳の部分が治療ターゲットだとはわかっていても、脳を守る頭蓋骨が外からのものを遮断していたために、そこへ至る事ができませんでした。 磁気というアイデアがそれを乗り越え、安全かつ効果的な治療法が登場したのは大変な朗報だと思います。 日本ではまだ認可されていませんが、NHK特集でいち早くとりあげられるなど、関心が高まっているようです。 当クリニックではこのrTMSを導入することで、治療の選択肢がさらに増えました。 このrTMSについてはより詳しい内容を次回以降にお伝えする予定です。