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人間 と こころ

2011年の東日本大震災で衝撃的な映像が世界を流れ、そして今、アメリカでジョージ・フロイドさんの死を契機におきた暴動の映像が人々のこころに二次的トラウマを刻んでいます。

 

アメリカで医師をすることは、文化の違いとの向き合いです。異邦人としての私がみたアメリカと、社会不安定と、そして人間のこころについて、今だからこそ思うことをここに書き留めます。

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ロサンゼルスでもナショナル・ガードが暴動の制圧に乗り出した直後、ある人と話した時でした。

 

その人は、警官への、白人優位社会への、そしてさらには格差への、社会システム全体への怒りを表現されました。それは、フロイドさんが黒人で、白人の警察官によって死へ至ったという人種問題を越え、それまで鬱屈していたこの国への全ての怒りでした。

「私はこの国を嫌う」

 

自らの国をそう感じることへの辛さが滲み出ていました。30年前も、ここロサンゼルスで人種問題を契機に暴動がおきました。それ以前から、キング牧師の記念日には、全ての学校で人種差別についての教育が行われてきています。しかし、今私たちがみているのは、何十年経っても変わらない何かです。インターネットは当時なかったし、国中へ飛び火するということはなかったかもしれません。でも、人間はあい変わらず、同じことを繰り返しているのです。

「人間は果たして変わるのか?」

 

とても、暗澹たる気持ちになる疑問が投げかけられました。怒りと失望がそこにあります。

 

便乗する団体がデモに油を注ぎ、バンダナを口に巻いて顔を隠しているのか、コロナから守っているのかわからないような人たちが、商店の物を持ち去っていく。「便乗」は、コロナのチェーン・メール、マスク高値売買、アウシュビッツで金儲けをした看守と、人間は常にやってきました。「人間は変わらないのか」は全ての人への問いかけです。

 

アメリカという文化に触れた当初を思い出しました。私をみる違和感を持った目に触れ、こちらは底知れぬ未知感に苛まれました。今また、それを感じています。それはとても根が深いもののようです。

Image by Josh Hild

この国の文化と、自由の意味について再考させられてます。マスクをすることは自由と逆行する、70才以上の人は自らの命は犠牲にして。自由が一つの象徴的価値であるアメリカに改めて気づかされます。デモ自体を否定しない警察も新鮮ですが、いつも人間は自由に伴うであろうものを都合よく忘れます。

 

様々な「自由」が戦いあい、「ジャッジメント」が横行し、アメリカがかつての輝きを失っています。そのまっすぐさが、今は未熟さにみえるのは気のせいでしょうか。

 

ジョージ・クルーニーは人種問題は400年と言ったそうですから、30年変わらないのも当然かもしれません。私が最近出会ったのは、「アンチ・レイシズム(反人種差別)」という本です。人種差別をアメリカで経験してきた黒人が書いています。「人間はレイシスト(人種差別主義者)であることがデフォルト」で、レイシストとレイシストでない人がいるのではなく、私たち人間すべてが、アンチ・レイシズムを会得していく必要性を説いた本です。敵は白人、黒人ではなく、人間が持つ性質なのです。

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仏教もこれを説いています。「差別」と「不差別」。人間は生まれながらにして皆違い、差をわける「差別」を持っている(しっかりした人生を歩めば平等であるというのが「不差別」だそうです)。

 

ある住職さんは、「悟り」というのは「差取り」であると言ったのは、以前書きました。この差をとっていくのが大変な作業のようです。仏教が取り上げてるなら、この差別、400年どころではない歴史があるのですね。

 

人は差をみるもの、比較するもの。他者との比較、妬み、劣等感。実は差別はそこらじゅうにある。私は日本人で、単一民族ゆえに差別とは関わりが少ないと思っていましたが、国連の人権部門は2015年に日本を調査し、差別の存在とそれに対する認識の薄さを指摘しています。部落、アイヌ民族、はたまたハンセン氏病。でもその意識がないのです。

 

自分は人種差別者ではない、と思っていたら要注意。私もそうです。みんな差別者として生まれてきているのだから。そこから始まらなければならないとアンチ・レイシズムは言っているのです。多様性を受け入れるなんて簡単なものではない。

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差に触れること、あるいは差によって苦しむことは、アンチ・レイシズムへのスタートです。アメリカで差を経験した時が、私のスタートだったのかも知れません。東海岸に初めて降り立ったラボのボスはアイリッシュ系で、国際色豊かなラボでした。「なぜ国際色豊かなの?」と聞くと、「アメリカはそもそも移民の集団だよ」と言ったのをよく覚えています(これも過去に書いたでしょうか)。

このスタンスはアンチ・レイシズムにより近い、忘れられない言葉です。

 

アメリカだけでなく、人類が永く抱えている差別。そこからのプロセスは、「ジャッジ」というそれぞれのカルチャーや培った固定観念に根ざす「線引き」からの脱出と成長。固定観念には歪みが潜みます。エゴが入ります。自分可愛さに、別の価値への悪意が芽生えます。

 

コロナは人道性の美しさを見せてくれました。東日本大震災で日本人が見せた清々しい行動に通じます。一方で、違ったサイドの人間の性も見せています。そして、それは「変わりうる」性質なのです。私たちにその意識さえあれば。

 

アメリカがまた好きになれる日が来ることを願っております。世界がそうなっていくことも。そして、人間にその力があることを信じています。

さて、100回を越えましたDr.久賀谷のコラム。ベストコラム・ランキング投票頂いたものを発表いたします。

 

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