自由について
COVIDの最中、マスクをしていない人は多いです。マスクをする意味はないと公言する医者もいます。アメリカという国の自由について考えさせられる日々です。アメリカのよいところが悪い形で出ていると言ってもいいでしょう。
いわば、弁論大会になっていて、各々が言いたいことを言っている。言論の自由(Freedom of Speech)としては正しいのですが、殊、公衆衛生に関わることなのでどうなのでしょう。そんなことを少し考察してみます。
アメリカは自由を掲げる実験国家ですが、独立の際に多くの同志の命を失ってその自由を勝ち取りました。憲法が定められ、Ten AmendmentsのFirst AmendmentにBill of Rightsとして言論の自由が保障されています。それは出版、集会、プロテストの自由などとともに大事な価値です。
この中ではその自由に制限はありません。つまり、何を言っても自由ということです。ですが、その後、長い「自由の歴史」の中で、危険を明確に及ぼす(徴兵に反対する行動がこれにあたった過去の判例)や、Fighting words(挑戦的で喧嘩を煽るような発言)は制限の対象になっています。
一方、国旗や十字架を燃やすのは制限されていません(ヘイト・スピーチも制限されません)(https://youtu.be/NL93bGkDOZE)。あくまで国家レベルですけども。
自由はどのような時に制限されるかというのは、長い自由についての歴史の中で、行き来のある(議論が続いている)エリアかと思います。そもそも、言論の自由は検閲や戦時など言葉を奪われた辛い過去の上に成り立っています。日本も大戦時の言論統制は厳しい教訓となっています。
その憲法は欧米にならい、言論などの自由を保障しています(日本もプロテストなど起きますが、その規模、勢いはおとなしめに感じます。Conformityと呼ばれる協調性がよりある文化だからかもしれません。コロナの際、これはスムーズな行動を助けたと思います。一方、政治や不倫など対岸のことに、村八分的に束に隠れて批判という傾向はあるかもしれません)。
アメリカの大事な価値「自由」ゆえに、コロナ対応は出遅れているのか?アメリカの本来のよさ、自由、主張が裏目に出ているのでは?もしその行動(例えばマスクをしない)が他者に危害を及ぼすことならば、自由の制限の対象になるのでは?もっと早く義務化を統一していたら?
自由に発言することは、国家の発展に繋がるというのも自由を尊重する理由です。違う意見を戦わすことの意義です。いまだ十分に自由が得られていない世界の地域を見ると心が痛み、人類の歴史は本当に自由獲得の歴史といっていいと思います。
今回のコロナは、新たに自由のあり方を問うていると思います。自分の自由を謳歌するためには人の自由も尊重しなければならない。民主主義が発展すると、その根底にある自由主義が進むとされます。その結果「分断」が進みます。
自分のことばかりで、人のことをケアしなくなります。コロナに至る前も、その分断は進行していました。メディアや良識者が〇〇派とレッテルを貼って、対峙の図式を煽るのが一因という人がいます。アメリカでは二大政党の分極化が進み、両者の少なくとも一部が賛同し合う法案が激減しているとされます。
小選挙区制などのシステムも要因ですが、白黒つける対決の図式が助長されているからです。それゆえ、二政党に嫌気がさした人々がトランプ氏という無党派層に投じたというのは、ハーバード・ビジネス研究者の意見です。
アダム・スミスは国富論で言っています。国際協調が互いを補う一番の繁栄法だと。一方、それぞれが柵をはり、己の短期的利益にすがり、他者を罵倒、排除するのは今の人類の流れです。実は、人間は自由であるがゆえ、発展するにつれ分断化が進むのは自然です。
全ての人が主張でき、違っていい存在になるからです。人類の特質に起因しています。分断する、差別するというのは、人間の欲や自衛本能に結びつくからという人もいます(https://kadobun.jp/feature/interview/165.html)。
自分が可愛いと、人を排除するのは人の心理の常です。それで戦争もおきます。では、そうでない自由の確立に必要な術はなんでしょうか。自由の本家アメリカも、それを今見失っているようです。
コロナ禍のゴタゴタで人種差別の暴動が眠りから醒めました。それは元々差別を持って生まれる私たち人間が、反人種差別を会得する途上にいることを意味します。私たちは元来違うのです。そこからスタートして、「無差別」へ進む。
自由がつくるーー分断も同様に克服されていかなければと思います。そのための術は、、、、。
ー私たちは自分が可愛くて守りたくて、ゆえに他者を攻撃してしまう存在であることに気づくこと
ー自分の自由と同じように、他者の自由をリスペクトすること
ー他者への思いやり(Compassion)をもつこと(できれば見返りなく)
東京大学が2014年に興味深い研究をしました。人にお金を寄付するのに、義理か、無償か、で脳の活動がものの見事に違ったというのです。前者はエゴ脳(後帯状皮質)が、後者は共感脳(前島)が光ってました。達成(往々に自分の成功)と幸せのギャップは、いまだ解けない人類のジレンマです。
「自分」オンリーでいくと、どこまで行っても本当の幸せがない。上の研究から、脳科学的にも、自己の達成を追うのではなく、共有と協調が(真の)幸せをもたらすのではと示唆されます。昨今の幸せについてのしっかりした科学データも、それに符合します。
分断を乗り越え、各々が「本当の」自由を謳歌するのは、大きなスケールでの幸せに繋がると言っていいのでは?なのです。
コロナはそんなことを教えてくれています。