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小林麻央さんのこと

小林麻央さんのことについて、ある方から聞いて初めて知り、ブログをみました。特に、

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人生は不思議なもので、
何かの大きな力によって、不意に、
舵をとられることで、
それが望んでいなかったことでも、
結果的に、新しい道を開けることがある
ということを学びました。
私は、舵をとられて、
その後隠れて隠れて真っ暗になったので、
新しく舵を取り返しました。
 それが、ブログでした。

「KOKORO小林麻央のオフィシャルブログ」より抜粋
https://ameblo.jp/maokobayashi0721/

というくだりは、こころを打たれました。若くして召されたことは非常に残念ですが、ブログを通じての一年弱は、なんと濃い時間だったのかと思います。ブログへのコメント、リアルタイムの交流をみると、そう感じました。人生は時間の長さでなく、その濃さであること、この方が短くとも濃い時間のなかで、成し遂げたことを思います。

私なりに、二つの視点を感じました。

彼女は病いのイメージを持たれる、弱い姿を見せることに怖れがあったと記しています。なぜ、ひとは病気を隠すのか?と考えると、「偏見」という言葉がちらつきます。世間が病気、死、老いなどへのあるネガティブな意味づけを持っており、そこからくる一定の見方。

 

それを受ける側からすると、人の目を気にすること。この偏見の存在と人の目を気にする傾向は誰にでもあるかと思います。日本では、それがより強い傾向にあるかもしれません。病気がメンタルヘルスの場合、偏見はより強いかもしれません。病気を隠すことは、彼女が元の自分に戻ることを阻んだようです。

Ducks Over the Lake

もう一つの視点は、自己イメージ。彼女のそれまでの明るい、頑張り屋のイメージは、真っ白なイメージであったのかと想像します。そこに病気、がんという一見、「黒」(白に対峙して、という意味でお受け取りください)のイメージが加わることは、大変なイメージの変化だったと思います。

 

彼女はその「怖れ」を語っています。彼女の選択は、「黒」を隠さず、白と黒を共存させる、いわば不完全を受け入れることであったのかと思います。理想を廃し、自分の努力で思い通りにならないことを、そして新たな自分を、許し、受け入れる過程だったのかと。

 

彼女はしかし、持ち前の前向きさと勇気で、この白黒の新たな自分に、それまで以上の成長とパワーをもたらします。実際、イメージダウンではなく、桁違いに人々のこころを動かすことにつながったのですね。黒の部分は、ネガティブではなかったわけです。

非常に高いレベルで、結果、自らの身に起きたことを昇華されたのだと思います。

病いを患う方たちにとって、この偏見との戦い、そして自己イメージの再形成と成長の過程は、彼女がもたらした大きな示唆かと思います。

Wild Flowers

折しも同じ日に、ある方と話していました。ご主人は施設に入り、ご本人はさびしさと罪悪感のなかで、日々自分の問題と対処しておられました。

 

思わず、「グット・ジョブ!」

と声をかけると、ひと呼吸の後、予期せぬ涙を流されました。

 

きっとこちらの想像以上に、頑張ってらっしゃったのでしょうね。同じ日に、麻央さんのブログを読んでいたこと、思わず出てきた言葉は、偶然ではなかったように思います。

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