醜形恐怖

「醜形恐怖」とは、外見に対する過度の不安を表します。それを打ち消すための行動、例えば形成術とか、回避、つまり外出しないなどを伴うことがあります。

アカデミー賞の前夜、あるカウンセラーが呼ばれて行ったのは女優さんの家。世界中からのファッション・コーディネーターたちがその場に居合わせるも、授賞式で身にまとう衣装が決まらないとのこと。もちろん美しい方ですし、衣装は8000万円のものもあるようです。しかし、ご本人は「どの衣装を身につけても自分が美しく見えない」と苦悩し連絡してきたのです。

 

この場合、人が実際この人をどう見ているかは関係ありません。ご自分がどう見られていると受けとめるかが問題なのです。治療としては、「十分綺麗じゃないですか」と安っぽい気休めを言うことは、ご本人が信じていることに反する訳で、解決になりません。むしろ、ご本人の苦悩に寄り添うことがスタートになります。その上で、目を閉じ、自分の心に耳を傾け、どの衣装が一番心地よいか、自分らしいか、と自問するよう促します。

醜形恐怖により、セルフィーをたくさん撮ったりという確認行為が起こることがあります。気になる身体の部分がどのように見えているか確認したいためです。一日に数千枚撮る方もいらっしゃいます。最近の診断基準では、醜形恐怖は強迫性障害(汚れが気になって手を何度も洗うなど)のカテゴリーに組み込まれました。強迫的に外見を気にし、それを打ち消す、あるいは確認するための行為を盛んに行うという点で、類似したメカニズムだとわかったのです。

 

治療の一つは、暴露反応妨害法(Exposure Response PreventionまたはERP)と呼ばれます。醜形恐怖の場合、例えば化粧をして隠していた部分があるとすると、あえて化粧をせずに外出をするのです。あるいは、鏡を見るのを控える。つまり恐怖へと自らを暴露するのです。すると、いかんともし難い衝動が襲ってきます。つまり「あー、化粧をして隠したい!」「鏡を見て確認したい!」という強い渇望です。

 

この治療では、平たくいいますと、この衝動をさまざまなスキルを使って我慢します。そして、打ち消す行動をとりません。この衝動と帯同して、その変化を観察するのです。辛い作業です。しかし、徐々に耐性が生まれ、辛さが和らいでくるのです。

外見という価値が偏重される現代です。どんなに綺麗な人にも、この恐怖は起こりえます。自尊心のなさ、他者との競争、社会の固定観念、承認欲求、褒められること=愛情という考え。これらが源流なのです。それを突き止め、自分の恐怖が過剰で不適切であることを気づけるようになると改善へと近づきます。

外見以外にも、私たちはさまざまな恐怖心、コンプレックスを持っていないでしょうか?体重、年齢、多様化の中で、自己と違うものへの抵抗心などなど。それは世相、社会環境、社会の価値観などと密接に関係しています。恐怖に突き動かされ、逃げ、恐怖の排除に躍起になるか、それとも向き合って違った行動を起こすか。醜形恐怖への対応は一つの示唆を与えます。

8月6日、原爆の日、広島市長による「慈愛」「敬意」「共感」という言葉が、一定の価値観に基づいて違いを排除する現代への警鐘に聞こえます。