世界にひろがるマインドフルネス(マインドフルネス4)

少し前のNew York Times誌で、Mindfulness(マインドフルネス)は、Selfieと並んで最もポピュラーな新(傍点)造語であると評されている。それくらいマインドフルネスは巷にあふれている。一時のオーガニック・ブームのように、「それに便乗するものの、内容がともなっていないものがはびこっている」という批判があるくらいである。

 

アメリカで、実は、マインドフルネスのブームはこれまでにもあったようだ。ヒッピーが闊歩する60年代頃などだが、これはサブカルチャーにとどまり、ほどなく沈静化したようだ。

今回のブームは、しかし、本物らしい。

グーグルや著名人が火をつけたというのもあるが、ブームの原動力は「科学的な裏付け」のようだ。マサチューセッツ大学にあるマインドフルネスのメッカ「Center For Mindfulness (CFS)」の研究ディレクターであるジャドソン・ブリュアーが2011年に報告した研究結果は、大きな反響を呼んだ。

 

これまでも、CFSの創設者であり、アメリカにおけるマインドフルネスの父ともいえるジョン・カバット・ジンらが、1980年 代からさまざまな科学的データを発表してきた。ブリュアーの報告は、それをさらに洗練したものだった。

 

結果は、ある脳の一部が、マインドフルネス瞑想によって、 特異的に活動が変わるというものだった。その場所は「後帯状皮質」と呼ばれ、心がさまよったり、自分にとらわれるということに関わっている。その後の追試で、やはりここがマインドフルネスが脳におよぼす主要な場所であることが証明されている。

これまで、少しスピリチュアルで、ミステリアスで、悪くいうと「キワモノ」っぽく見られていたマインドフルネスが、脳科学の鎧を身にまとい、市民権を得たのである。ブリュアー自身、マインドフルネスの研究を始めた2004年ごろには、周囲から冷たい目で見られたことを述懐している。それが今や、マインドフルネスに関する研究論文数は、ウナギのぼりで増加している。

科学の力は説得力を生む。今回のブームが一時的でなく、本物であると目されるゆえんである。

科学的な裏付けの陰で、地道なマインドフルネスへの取り組みも忘れてはならない。「マインドフル・スクールズ」は、学校をベースとしてマインドフルネスを子供たちに教えてきた。

 

2007年以降、75万 人以上の生徒たちがマインドフルネスを実践し、今やその輪はアメリカ全土、そして世界へと発展している。この団体も「科学的裏付け」を忘れずに、カリフォ ルニア州オークランド(治安の悪い地域)で、マインドフルネスが生徒たちの注意力、自分・他者への思いやりを改善したことを証明している。

マインドフルネスは、医療、学校、政治、企業など、様々な場所で実践されている。

 

CFSをはじめ、UCLAのMARC(Mindful Awareness Research Center)、オックスフォード大学などで盛んに研究と普及の取り組みが今日も進んでいる。MARCのオンラインコースには、アメリカの複数の州はもちろん、イギリス、オーストラリアなど世界中から人々が参加する。

ジョン・カバット・ジンはいう。これは「革命」だと。それもあながち言い過ぎではないだろう。医療でいえば、感染症に対してペニシリンが発見された時のような「革命」が起きているのだ。

「現代人はストレスが多い」とよくいわれる。また、携帯やコンピューターで「心がさまよう」機会が多いといわれる。

 

だからこそ、マインドフルネスが一服の清涼 剤として必要とされるのではないか。それは確かに当たっている。しかし、このいたってシンプルな「何かに注意を向ける」という方法が経てきた歴史は、意外な 事実を教えてくれる。

 

マインドフルネスは原始仏教に起源があるとされ、ブッダもそれを記述している。「吸う息に注意を向けて、吐く息に注意を向けて」と。

 

ブリュアーは、ブッダは宗教家ではなく、むしろ心理学者だと評している。2500年前に、この人物は人を癒す方法を見出し、伝えたのだ。つまり、そんな昔にも、人はストレスがあったのだ。生きる「苦悩」から解放されるために、清涼剤が必要だったのだ。

日本人にとってマインドフルネスは、「逆輸入品」だ。生活の基盤に染みわたっている仏教の子細はもちろん、武道で黙想したり、「しようがない」と受け入れたりするのも、実はマインドフルネスに通じている。しかし、それを意識している人は少ないし、いわんや抵抗感を持っている人もいるかもしれない。それは宗教 アレルギーかもしれないし(マインドフルネスは宗教性を完全に排除しているけれど)、文明開化と近代化に逆行するように感じられるからかもしれない。

 

その マインドフルネスが、欧米からまた戻ってきた。例えれば、「かつて勘当した息子が、海外で一旗揚げ、凱旋してきた」ようなものだ。日本人が、マインドフル ネスに複雑な反応を示すのは、おそらくこのためだろう。

勘当はしたものの、元をただせば遺伝子を共有する存在であり、科学で一皮むけ成長した「我が子」を、マインドフルに迎え入れてみてはいかがだろうか。

「科学的な脳の休め方」を具体的にお伝えするのが、以下の拙著です。よろしければ手に取ってみてください。