APPSとメンタルヘルス
スマートフォンの普及は凄まじく、APPSも同様です。これをメンタルヘルスに利用しようとする動きが起きており、疾患に関するAPPSのうち、およそ三分の一がメンタルヘルスに関するものです。その現状と利点、問題点についてイギリスの著名な科学誌『ネイチャー』が特集していますので紹介します。
APPSを使って、こころの状態をモニターしたり、問題が生じた場合、それに対処する方法を指導したり、症状の再発を防いだり、というのが多くのAPPSの目的です。メンタルヘルスは、その問題の頻度の高さにもかかわらず(30%ぐらいの人が一生のうちに何らかのメンタルヘルス問題を持ちます)、十分にケアが行き届いていない領域です。その理由は、偏見であったり治療者へのアクセス(受診)が難しかったりなどです。発展途上国では、このアクセスの問題が85%ぐらいの人に起きていると見積もられています。先進国でも50%に及びます。
そこでAPPSが登場するわけです。発展途上国でもスマートフォンの普及は6割を超え、多くの人が手にするものです。何からの理由で専門家に受診できない場合、この手元にあるスマートフォンのAPPSが助けにならないかと考えたわけです。
その普及は加速度的で、アメリカ国防省が開発したAPPS「PTSD Coach」は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)というトラウマのためのケアを提供するのですが、3年間で15万回ダウンロードされ、86か国に及んでいます。この他にもさまざまなメンタルヘルスについてのAPPSが多数開発され、「FOCUS」というのは統合失調症に対してですし、「Sleepio」は不眠に対してです。
またさまざまな工夫がなされ、マンチェスター大学の研究者によって開発された「ClinTouch」は、症状の再発をモニターし、その兆候があれば専門家へ連絡がいくという作りになっています。さらにはサンフランシスコのGinger.ioという会社は、スマートフォンの使用状況によって(テキストの数など)、うつ病の悪化を早期発見することに役立てるという試みをしています。
APPSの利点は、安価である、簡便である、アクセスしやすい、偏見が障害になりにくい、初期の症状をモニターすることで早期発見に貢献する、グローバルに用いられる(インターネットがあれば)などです。
さまざまなAPPSの発展の一方で、『ネイチャー』誌はその問題点を取り上げています。
一つはその信頼性です。「そもそも効果があるのか」ということです。ほとんどのAPPSはきちんとしたテストを受けていません。ある情報によると、1500以上のうつ病に関わるAPPSのうち、32が研究論文の対象になっているのみでした。
またその効果が立証されたものは、ある14のAPPSを対象にした解析では4つのみでした。アメリカでいうFDAという国の機関がその効果と安全性を立証するという経緯を経ていないものがほとんどです。
疾患の治療という命名のAPPSならまだしも、「気分をブーストします」とか「コーチングします」とかいったカジュアルなものが多いですから、そもそもFDAという医療行為を審査する対象になるのかというのもあります。
個人データの保護もAPPSにまつわる大きな問題です。35のAPPSのうち個人情報を暗号化していなかったものは実に三分の二に及びました。個人情報の保護がクリティカルなメンタルヘルスの領域で、これは深刻な問題です。
さらには、APPSによる害もありえます。「iBipolar」という躁うつ病に対するAPPSでは「そう状態になったらきついお酒を飲みましょう」というアドバイスがありました。また「What is Bipolar Disorder」というAPPSでは「躁うつ病は感染性がある」と触れられていました。このような明らかな間違いがはびこり得るのがAPPSの現状なのです。それによって使用者が害を被ることはいたたまれません。
「Take Promillekoll」というスウェーデンのAPPSは、お酒を飲んでいる時、その量を入力していくことで体内アルコール濃度を示し、使用者のアルコール摂取を抑えることを意図しました。ところが、その都度飲む量は減ったものの、逆に飲む頻度が増えるという結果になりました(飲む量が一回あたり減ることで大丈夫と安心し、頻度が増えたのではないかと推測されています)。その他にも、APPSによっては、使用によって逆にメンタル症状の悪化が見られる場合があります。
APPSの国境を越えて使い得るという点は、メリットであり、デメリットにもなりえます。国や文化によってメンタルヘルスの用語、理解は異なり、言語によるものはもちろん、文化の違いによるズレが生じる可能性があります。
APPSという新たな手段にそのメリットがある一方、さまざまな落とし穴をはらんでいるということです。医療という領域では、しかしこのままでは問題があります。
『ネイチャー』誌は特集のまとめとして「APPSは、他の治療行為と同様に検証され、その妥当性が判断されるべきだ」と結論付け、APPSのプラセボ(類似しているがその実質が除かれているもの)を用いた無作為比較試験によって、APPSの効果と安全性を確認するステップがきちんと行なわれている例を挙げています。
当クリニックでも、テクノロジーの進歩によるメンタルヘルス領域の環境の変化には敏感に注意を払っています。遠隔からの受診が可能なように、Telemedicineという領域は、メンタルヘルスに限らず、ビデオ通信などで医療行為が行われる技術です。
それにより、最寄りにアクセスできる医師がいない方々が必要なケアを受けることを可能にしています。スカイプをこれに代用している場合があるようですが、スカイプは個人情報を保護することができません。当クリニックのシステムは軍事レベルの暗号化を用い、メンタルケアにとって重要な個人情報を守り、安心して利用していただけるように配慮されています。
私が、コネチカット州にいた10年以上前から退役軍人病院などではいち早く取り入れられていた医療テクノロジーです。APPSに今求められているように、厳しくその信頼性が検討され、現在に至る長い経緯があります。また、上にも触れたような、症状を日記のように入力するサイトを用いることで、症状のモニターや早期発見に役立てています。今回述べてきたように、医療者としてこういったテクノロジーを見極め、メリット・デメリットを熟知した上で、慎重に選択していくことが役目だと思っています。その上でテクノロジーの恩恵を医療に役立てていくこと求められます。