パニックって? その2

私自身パニックを経験したことがあります。 トライアスロンでは、最初に水泳があります。 ある湖での早朝でした。そのレースに参加する人々が、スタートの合図を待って、緊張しています。湖での水泳は一マイル。 まだ水は冷たいです。皆、ウォーミングアップに余念がありません。 身体を温め、水に慣れておくため、水際で身体を沈めたり、軽く泳ぐ姿がみられます。 湖は残念ながら視界がほとんどないぐらい濁っています。

 

早朝の寝ぼけた身体と頭を水につけると、そこは冷たく、そして暗闇です。 レース前の緊張も手伝って、心臓は速く鼓動しています。 水面に顔を入れると、いつもは慣れ親しんだ水が、とてつもない閉塞した場所に感じます。 身体と、そして何より頭をつける頃には、動悸は最高潮となり、窒息しそうな強い恐怖に教われます。 長くは水に顔をつけておれず、たまらず顔を上げます。 抵抗しようと続けても、恐怖が恐怖を呼び、湖の真ん中で溺れてしまうことを恐れ始めます。 ライフガードは気づいてくれないかもしれない。

 

トライアスロンで死んだ人のいることを思い起こしたりします。 湖の底は見えません。 この暗黒に何か恐ろしい生物が潜んでいるかもしれないと心配します。 いつも問題なく泳いでいたプールのようには身体は動きません。

ある方は、サウナの後に冷水に頭をつけると、パニックが起きると言っていました。 脳が急激に冷えることはパニックと関係があるのかもしれません。 さらに上記の私の場合は、水中の暗がり、レース前の緊張、早朝という身体が醒めていない状態、などが総合的に関係してパニックを引き起こしているのかもしれません。 私に限らず、トライアスロンをする人は、身体の温まっていない最初の水泳で同様の経験をすることがあると聞きました。

普段、トレーニングを行うプールは、水が澄んでいて、コースはラインで割り振られ、深さは足の届く場所があり、そして岸が近くにあります。 つまり、そこはオープンスペースであり、安心があり、様々なことが手に取るように把握できる状況にあります。 一方、湖は未知と不確定なものの総体です。

この一連の条件に、パニックが起きる要素が凝縮されています。 慣れていない非日常的環境、身体へのやはり非日常的な、しかも急激な刺激、精神的緊張、不確定性、閉塞感、呼吸が普段のようにできない状況、立て続けに湧き起こる根拠のない幻想。 これらが恐怖、不安を作り出し、身体の反応と共同して、パニックという状態を形成しているのです。

緊張すると動悸が起きます。 つまり、心臓が頑張って血液を全身へ送ろうとします。 するとその血液量に見合った酸素が血液中に必要になります。 血液の中の赤血球は酸素を抱えて全身の末端へ配ります。 それが血液が身体を循環する大事な目的なのです。 酸素は筋肉を動かすことや、最大の酸素消費臓器である脳が働くために使われます。 心臓から送り出される血液への酸素をより多く取り入れる方法は、より呼吸をすることです。 そこで我々の身体は自然に、呼吸数を増やします。 身体の正常なメカニズムです。

 

しかし、あまりの急な、そして過剰な酸素欲求に対し、過剰で非効率な呼吸が起きます。 過呼吸です。 パニックが過呼吸発作と呼ばれるのは、多くの場合この過呼吸が起きるからです。 残念ながらこの過呼吸は、うまく必要な酸素をもたらしてくれません。 確かに酸素は過剰に取り込みますが、呼気によって二酸化炭素を沢山放出してしまい、結果として、体内の酸素と二酸化炭素の非常に大きな不均衡が起こってしまいます。

 

パニックのときに、紙袋を口にあて呼吸するという方法は、吐いた二酸化炭素を再び吸い込むことで、この不均衡を減らすためです(短期的には有効な方法ですが、アメリカではあまり勧められていないようです)。 この不均衡は、呼吸が苦しい感覚を起こします。窒息感です。 これがパニックの時に起こっている体内の状況です。 正しい呼吸法、あるいは深呼吸をするというのは、上記の乱れた呼吸を有効なものにするという点で、正しい対処法です。 しかしパニックの最中にそれは容易ではありません。

前回 「パニックって? その1」 で触れました、最近のニューヨーク•タイムズの記事で恐怖症が取り上げられています。 恐怖症は、ある状況や対象に対して起こる不安です。 パニック発作を伴うことも多いです。 この記事は水恐怖症、aquaphobiaについてです。 他にも様々な恐怖症があり、aviophobiaは飛行機恐怖症、acrophobiaは高所恐怖症、arachnophobiaは蜘蛛恐怖症、peladophobiaは悪人恐怖症、geniphobiaはあご恐怖症、pentheraphobiaは義母恐怖症などという例が紹介されています。

ニューヨークでプロのドラマーをする33歳の男性は、5歳のときの落水事故を契機に水恐怖が始まりました。 この10回程の水泳教室では、水恐怖を克服し、泳ぐことができることをゴールとします。 個性のあるインストラクターたちと繰り広げられるその過程が、紙面2面に渡って描かれていますので一読を。 このようにトラウマを契機に、ある状況が恐怖の対象となった場合、それを学習した脳はその状況が危険だというシグナルを送り続けます。 その場所に近づくと恐怖反応が起きるのはそのためです。

 

そしてそれゆえに、人はその対象を回避します。 この恐怖症の唯一の克服方法は、回避を辞め、恐怖に向き合うことです。 そして、脳を逆学習させるのです(その状況は危険でないと学習すること)。 この記事では、“To stifle a phobia, you need to confront it. To defeat aquaphobia, you have to get wet.”と言っています。 この水泳教室の過程で、逆学習の様子は、“(people with phobia) think as soon as they go under (water), they will be swallowed by water…..So you disprove their fears.”と描写されています。 歪んだ幻想(水に入る=溺れる)という、パニックを引き起こす原因を、実地(水に入ることは、溺れるということでないという経験)が減らしていくのです。

治療が進むにつれ、こんなくだりがあります。

If you're going to fight the water, the water is going to fight you. You know how much water weighs? Eight and a half pounds a gallon. But it's fluid. It's going to allow you to move.

これは奇しくもメタファーになっています。 人は物事をコントロールしたい衝動があります。 それが叶わないとき、人は不安になります。 そしてコントロールしようともがくと、不安はさらに強くなります。 彼のこの水との葛藤がそれを如実に示しています。 また、記事のなかで、水に身体を委ね、無重力状態を感じるかのような場面があります。 インストラクターはこれを、“Recovery”、あるいは“An exit strategy”と呼んでいます。 Out of positionになる瞬間です。

この記事にみられる方法を、系統的脱感作と呼びます。 多くの恐怖症に有効な治療法として知られています。 つまり、徐々に恐怖の対象に身を置いていくということです。 この水泳教室のように、経験のある治療者が、様々な工夫と道具を用いて、適切なプロセスをアシストします。 また、ドラマーの彼が、インストラクターたちを信頼していくことが描かれていますが、この信頼関係が大変大事です。

水つながりで、パニックのメカニズムと恐怖症への対処法を概説しました。 下記の日程でセミナーを行います。 さらに詳細な情報を提供しますので、ご興味のある方はご参加ください。