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「リンカーン」のメランコリー 

皆さんは、映画『リンカーン』をご覧になりましたか?

2月24日に開催される2013年のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞など、主要12部門にノミネートされています。 結果はどうなるのでしょうね(皆さんひょっとしたらすでにご存知の通りです)。

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ダニエル・デイ=ルイスが演じるリンカーンは、知的で、ユーモラスで、意志が強く、一貫した姿勢の人物として描かれています。 また、自分の利得のためでなく、国のため、人間の尊厳のため、奴隷制を廃止するよう奔走します。 時は1860年代、彼の死までの4ヶ月ほどが描かれています。 当時、泥沼化した南北戦争は4年も続き、出口が見えない国家の危機的状況でした。 リンカーンは奴隷制の廃止が停戦に不可欠だと信じますが、当時は彼の側近さえどうしたらよいかわからないといった状況だったようです。 その中で彼は、ひょうひょうとしながら、しかし、時に強く一貫した意志とリーダーシップを発揮します。

ダニエル・デイ=ルイスは、この役作りに一年をかけたと言われており、独特のリンカーン像が印象的です。 その話し振りは、ぼそぼそとした声でソフトです。 実は実際のリンカーンは、ハイピッチの高い声で、その風貌とのミスマッチさに周囲は驚いたと語り継がれています。 ダニエル・デイ=ルイスが役を作る上で、この声でいきたいと、スティーブン・スピルバーグ監督に持ちかけた経緯があるそうです。

この映画を今回取り上げた理由は、リンカーンが実は生前、「うつ」を患ったことが知られているからです。 映画で描かれている人物像や成し遂げた偉業の背後に「うつ」があったことは意外に感じられるかもしれません。

この経緯を詳細に分析したノンフィクションに『リンカーンのメランコリー』(参考1)があります。 メランコリーというのは、「うつ」あるいはその傾向を表現するものです。 この19世紀の歴史的偉人の知られざる側面を、残存する資料をもとにひも解いています。

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リンカーンは1835年(26歳頃)に最初の「うつ」のエピソードを経験しているようです。 当時、女性の友人を亡くしており、その関連が検討されていますが結論は定かではありません。 彼女の墓を雨が濡らすのが堪え難いと、大変な失意に打たれていたリンカーンの姿が伝えられています。 自殺をしばしばほのめかし、一人銃を持って森を歩き回ったり、周りは彼の安全を深刻に心配するほどでした。

 

いわゆる“Safety watch”といわれる周囲が注意を払わないといけない状況でした。 ある年配の夫婦がリンカーンを彼らの家で世話し、回復までには何ヶ月も要します。 この本の中では、現代の診断基準に沿って、リンカーンが「うつ病」の診断に適合していたとしています。

このようなエピソードは一度にとどまらず、その後も続きます。 このことは、最初のエピソードが単に喪失体験ではなかったことを示唆します。 2度目のエピソードは1840-41年の冬であり、仕事の忙しさからくるストレス、天候も手伝って、彼は同様の症状に陥ります。 彼自身周囲に、希望のなさ、悲惨な気持ち、死にたい気持ちを語っており、彼は働くことができない状態でした。 その後も繰り返す「うつ」に、政治家として活動する合間にも、顔を手で覆いながら悲しみにうなだれるリンカーンの姿が、幾度となく周囲から気づかれています。

彼の「うつ」にはどのような要因があったのでしょうか? 彼の両親も「メランコリー」の傾向があったといわれています。 リンカーン自身、彼の母親を「知的でセンシティブであり、どこか悲しいところがあった」と表しています。 父親、さらには彼の家系(叔父、いとこ)などにもこころの問題があったことが伝えられています。

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リンカーンは9歳のとき、母親を疫病で亡くしています(叔父と叔母も)。 その後しばらくして、彼の父親は何ヶ月も子供たちを残して町を離れます。 再婚のため戻ってくるまでの間、リンカーン達は劣悪な環境で、彼曰く「哀れと言わないなら、悲しい」時間を過ごします。

 

母亡き後、父親からの心情的サポートが不在であったことは、まだ幼い彼に多大の影響を及ぼしたことでしょう。 父子の間に愛情があるのか、周囲はいぶかしがったようです。 リンカーンが勉学を強く望んだのに対し、父親は農場の仕事を手伝わない彼に手をあげたこともあるようです。

ただ、当時の子供達は、15歳になるまでに4人に1人がいずれかの親を失っていたようです。 それだけ疫病など命を落とす理由が蔓延していたということです。 実際、19世紀の18人の大統領のうち、9人がいずれかの親を子供時代に失っています。 つまり、リンカーンが母親他の家族を失っていたからといって、それが即、彼のその後の「うつ」の理由にはならないということです。

本を読むのが好きなリンカーン少年は、その後、レスリングで強靭な身体を育み、周囲に対して平等で高く信頼を得る人物となっていきます。 このことは、彼が大統領に選ばれたり、国民や周囲に好かれ、偉業を達成していくのに不可欠な要素でした。 映画の中でもその人柄がいかんなく伺えます。

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繰り返す「うつ」と戦いながら、リンカーンは弁護士として、そして政治家として人生を歩んでいきます。 「うつ」に対して、当時治療はあったのでしょうか? いわゆる今で言うハーブなどを混ぜたような“blue mass”と呼ばれる錠剤が結核から何からすべてに処方されていたような時代です。 彼が薬局から当時もらった処方の明細が残っているようです。 これによると、“opiates, camphor, sarsaparilla, cocaine”とあるそうです。 つまり、麻薬やコカインが含まれています。

 

1899年の薬剤カタログによると、これらは当時、「メランコリー」への治療薬とされています(もちろん現在は違います)。 国が薬剤などの統制を行い始めた1906年よりも前の話です。 また、この明細はリンカーン自身のためのものか、家族のためのものだったかはわかっていません。

きちんとした治療のない時代、彼はどのように「うつ」に対処したのでしょうか? 先の書籍は「ユーモア」をその一つとしてあげています。 時にユーモアは、つらい状況を和らげる対処方法として確かに知られています。 そういえば映画の中で、リンカーンはユーモアで周囲を度々和ましています。

さらにこの本は、この「うつ」が如何に彼の偉業達成へ助けとなったのかを検討しています。

ある医師は、「人間は苦難にあるとき、自らの才能を引き出し、運命を超越する『目的』が必要である」と言っています。 これはまさにリンカーンの状況にあてはまります。 その後、彼の「うつ」は和らぐどころか強くなるのですが、それに呼応するように彼の人生は豊かになっていきます。

 

「うつ」に引き戻されるたび、彼は新たなる「目的」に結びつけることで対応していきます。 奴隷制廃止は、彼に「目的」を与えます。 つらさでしかなかった「うつ」を通して、彼は「意義」を見い出していきます。 彼は不完全であることを見つけ、そこから得れるものを探します。

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1850年代の初頭。 リンカーンは鬼気迫る悲しい様子で言いました。 「自分がこの世を去るとき、もしこの国が、自分がそもそも存在しなかった場合と比べて少しでもよくなっていなかったなら、それはなんと、なんとつらいことか」。 40年以上の人生の中で、何ら世界に貢献できていない自分を嘆くこの言葉は、彼の人生の転機になったとされます。 「何か貢献したい」。 そう願うほど、現実とのギャップからくる彼の痛みは強まったと思います。 しかし、その痛みにどれだけ長く耐えうるか、そして希望を持ち続け、その時に備えて準備をしておけるかなのだと著者は言います。

政治の一線から退いた時期を経て、40代前半に彼が再び舞台に上がる状況が出てきます。 「奴隷制」廃止に向けて彼は立ち上がるのです。 奴隷制は人間の自己欺瞞であり、倫理的、社会的、そして政治的に間違っていると一刀両断します。

当時の背景として、アメリカ南部は奴隷という労働力で経済が維持されるという体制が確立されていました。 この奴隷制を廃止することは、国の半分の経済に多大の影響が起こる状況だったのです。 しかしリンカーンは、何より人間の威厳のために、そしてまだ生まれぬこれからの人々のために、これは廃止されなければという一貫した強い意志を示します。 映画でもこのシーンは大変印象的です。

側近さえゆらぐなか、反対勢力への不利な状況にもひるまず、彼は突き進みます。 映画の中では、肉親との関係さえ、優先順位を下げることも厭わない彼が描かれています。

American Flag

有名な彼の演説の数々は、人々の心に届き、聴衆は彼が言う言葉を彼自身心から信じていることを感じ取りました。 彼は、自分の本当の気持ちに正直で衆前にもオープンでした。このような彼の人間性が大きな原動力だったことは間違いないでしょう。

彼は世界を、「不完全な人々が乏しいものから最善を見い出さざるをえない不完全で悲劇的な場所」ととらえていました。 この視点は、彼の状態の悪い時は、よりつらい場所へ彼を追いやり、彼の状態がよい時には、そこから何か見返りを見い出そうとする彼の情熱に火をつけました。

「うつ」が彼の偉業の助けになったとする別の視点として、「うつ」にみられる悲観的な考え方があげられます。 とかく現代は、ポジティブ、ポジティブと奨励し、カウンセリングもこのポジティブさを単純に目指す嫌いがあります。 一方、ネガティブな視点が、より物事を精確に捉えうることを提唱する学者たちがいます。 “Depression realism”などとも言われますが、うつで悲観的な時、装飾を排除し、安易な楽観視を避け、より客観的に物事や状況の本質を的確に見極める能力のことです。 この能力は、取り巻く状況が危機的であればあるほど、その真価が生きるといわれています。 つまり、4年続く泥沼の南北戦争の危機のなかでこそ、リンカーンの「悲観的な見方」が状況打破に不可欠であったという可能性です。

 

この悲観視により、ある時はきれいな物がきれいに感じられないかもしれません。 しかし逆に、偽を見抜き、本当の危機を過小評価せずに向き合う、こういった姿勢が必要なときであったということでしょう。 現に当時楽観的見方をもった政治家もいたようで、歴史はどちらが正しい見方であったかを証明しています。 リンカーンに限らず、「うつ」にみられるこの傾向は、利点となる場面もあるということです。 「より悲しい状態だが、より賢明でもある」と「うつ」の状態が評されることもあります。 サブプライム問題が表面化する前、偽のお祭りに踊らされた経験は記憶に新しいでしょう。 その最中に、沈着に(一種悲観的に)物事を捉えられる人がいたらなと思いませんか?

「メランコリー」の状態にある人は、エネルギーが減退していますが、その分、少ないエネルギーを有効に用い、絞った焦点に力を集約しうるともいわれています。 現状や自分への不満足、悔恨が人間の原動力になるというのもあるでしょう。

Lone Walk

人類はその歴史の長さだけ、「うつ」とともに歩んでいます。 遺伝学的には、生物の生存のために不要なものは淘汰されていくはずです。 「うつ」が存在し続けるのは、生物学的理由があるのではないかと考える研究者達がいます。 もちろん答えはまだないのですが、上記のような見方がその一つの説明となるかもしれません。 多くの偉人達がこころの問題を抱えていたことはよく知られています。 トルストイ、ヘミングウェイ、ダーウィン、ベートーベン、ニーチェ、チャーチル、ディケンス、ゴッホなどなど(国レベルの家族団体 (National Alliance on Mental Illness: NAMI) のウェブサイトをご参考にして下さい)。

芸術家の中には、うつなどの気分の問題の率が高いことが知られています。 文筆家は、「うつ」など気分の障害の頻度が5倍高かったことも報告されています。(参考2

「うつ」や気分の障害と創造性が切り離せないことは多くの知見からわかってきています。 彼らをより複雑な人間にし、ある心理的領域での傑出が彼らの偉業とリンクしていくということでしょう。

「うつ」は大変つらいものです。 このつらさを正当化することはできません。 ただ、リンカーンは奴隷制廃止という偉業とともに、彼の「うつ」との格闘によって何かを後世へ伝えているのではないでしょうか。

リンカーンは、メディアやテレビ、映画などで取り上げられる世界の偉人のうち、イエス・キリスト、ナポレオンに続いて世界で第三位の頻度だそうです。 このあまりにも有名で、アメリカが誇る人物であるリンカーンのあまり知られていない側面は、今も様々な証言や文献などで検証されてきているようです。 ヒストリー・チャンネルでまとめられたものもご参考にしてください。(参考3

アカデミー賞にノミネートされた映画『リンカーン』。 このような視点でもご覧になってみて下さい。

そして、リンカーンの写真を改めて見つめてみて下さい。

こけた頬、乱れた髪、厳粛に閉じられた厚い唇。彼の悲しさと格闘が伝わってきませんか?

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