自分のことが嫌いな人へ ~自尊心について~
あなたは、自分のことが好きですか?
「こころ」 の領域に携わる人間として、頻繁に出会うテーマがある。 「Self-esteem」 つまり 「自尊心」 についてである。 カウンセリングの場などで、ここへ行き着いたり、ここを通過することはなぜか多い。 「こころ」 について語る時、「自尊心」 は避けて通れないと言っても良いかもしれない。 あるいは、「こころ」 が萎えた時 「自尊心」 が関係していることが多いのは確かだ。 Amazon.com の書籍では、「Self-esteem」 を検索すると9万ものヒットがあるほど、現代人の大きな関心事である。
「Self-esteem」 は、“To regard self highly or favorably” あるいは “To regard self with respect” などと定義されている。 自分を高く評価する、自分に敬意をもってみる、という意味である。 「Self-confidence」 という意味の自信とは異なる。 例えば、自分が有名なプロのテニスプレーヤーと試合をしたとして、 自信は相手に勝てると思えるかということである。 一方、自尊心はその相手に負けたとしても 「なにせ相手はトッププロだから」 と、自分に一定の評価ができるか、ということである。 外的な事実より、内から湧き出てくるものといってもよいだろう。
以下にあてはまる方は、自尊心の問題を抱えているかもしれない。
□ 自分を好きになれない
□ やれども、やれども、満足、達成感が得られない
□ 自分は評価されないと思っている
□ 自分は能力がない
□ 自分は人に愛されない
□ 何か満たされない
想像に難くなく、この葛藤があると幸せを感じにくい。 ひいては、うつや様々なこころの問題の温床になる。 我々の核心にある重要なテーマなのである。 そう、程度の差こそあれ、我々すべてがほぼ例外なくこの葛藤を抱えている。
「自尊心」 は、身近にもよく取り上げられている。 例えば、SMAPの“世界に一つだけの花” という歌は、この 「自尊心」 を歌ったものである。 他者との比較ではなく、唯一無二の自分に価値を見いだすこと。 頭ではわかっているけど、なかなかそう感じるのは難しい。 あの歌が多くの人に与える哀愁感のようなものは、我々が共有する、この 「自尊心」 という葛藤と、それへの渇望のせいだろう。
さて、「自尊心」 とは一体何だろうか。
「あんドーナツ」 をイメージするとよい。 狭い意味での自己評価 (あん) と、それを取り巻く社会や他者からの評価、愛、社会的な地位など (あんを取り巻くドーナツ) の二層構造になっていて、それでいて外と内側は随時交流がある。 もちろん人間は、自己評価 (あるいはエゴ) だけでは生きて行けない社会的生き物なので (でないと単にわがままということになる) 周囲からの評価が 「自尊心」 にはついてまわり相互作用が起きているというイメージである。
「自尊心」 の形成には様々な要素がある。 おそらく、「あん」 を形作るのに大事な要素である両親、生い立ちに加えて、その後の人生の経験、人間関係などが複雑に作用して形成されていく。 両親の影響については、「自尊心」 を損ねる両親のパターンが幾つか指摘されている。
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高い目標を子供に強いて、達成しても評価しない
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過保護で子供に冒険をさせない
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あまやかしすぎる
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暴力などの虐待
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無視
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親のアルコール依存
などである。 親に限らず、様々な形の虐待は、“Low self-esteem (自尊心の低下) ” の原因になることがわかっている。
「自尊心」 が低いことによる実際の葛藤の形も様々である。 周囲から見ると非常に社会的な成功者であるのに、本人は満足感がなく、天井なしに次の達成を求めざるおえない人。 人間関係が終わると、強い見捨てられた感じをもち、自らを傷つけてしまう人。 暴力やアルコール依存の問題をもつ相手から離れられず、骨抜きのようになっている人。 人に尽くすばかりで、自分をケアできない “Giver”。 このような人たちは非常に苦しいのである。 先に述べたように、うつや 「こころ」 の問題と無縁ではないのだ。 これら以外にも、様々な程度や形の 「自尊心」 の葛藤を我々は経験する。
ではどのように 「自尊心」 の問題に取り組んでいけばよいのだろうか?
「低い自尊心」 がどこから来ているか、その源を探るには、先にあげた背景を探るとともに、それによって形成された自分の中に潜む 「自分を打ちのめす信じ込み」 に気付くことを試みたい。 Self-defeating beliefs と言われるもので、それを刺激する出来事があると、内に潜んだこの 「信じ込み」 が反応して一気に 「自尊心」 を失墜させるのである。 Self-defeating beliefs、つまり 「自分を打ちのめす信じ込み」 の具体例としては、以下のようである。
・自分は決して失敗をしてはいけない
・自分が弱い人間だと、人は自分を愛してくれない、受け入れてくれない
・もし人に愛されなければ、自分は存在意義がない
・自分の価値は、自分の達成すること次第だ
・自分はひとりだと、悲惨で決して満たされない
お気づきのように、そこには非常に極端な信じ込みや、完璧主義的な考え方が垣間みられる。 頭では、「このように考えなくてもよいのに」 とわかっていても、長い年月の中で凝り固まって、深い所に存在し続けているこれらの 「信じ込み」 は非常に強い力をもつ。 例えば 「自分は決して失敗をしてはいけない」 と、ここの奥深くで感じている人は、ささいな失敗や人からの指摘で 「自尊心」 が極端に傷つくのだ。 有無を言わせず 「自尊心」 が急降下してしまうのだ。 この 「低い自尊心」 を引き起こす 「信じ込み」 は、専用の尺度で評価すると、以下のようなカテゴリーに分けられてくる。
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人から認められることへの渇望
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愛情への渇望
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達成することへの渇望
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完璧主義
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周囲から自分はこういう待遇をうけるべきだという渇望
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自責傾向
一見、変わりようがないこのような 「信じ込み」 も、様々な専門的な手法によって、変えていくことが可能だ。 「信じ込み」 を軽減したり、変えていくことで、 「自尊心」 を痛めつける 「根っこ」 がなくなり、気持ちの安定や幸福感が得られやすくなる。 その方法や過程はここでは割愛するが、最後に、「自尊心」 を育てるためのヒントを幾つか挙げたいと思う。 「自尊心」 は適切なケアによって修復したり、育てることができるのである。
「自尊心」 を育てるヒント
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あるがままの今の自分を受け入れる
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周囲の評価に振り回されない
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人と比べない
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揺るがない自分の尺度 (価値観) を育てる
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行動、経験、達成、そして失敗をする
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「自尊心」 の花に水をやる : ポジティブなことを定期的に自分に話しかける。
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ご褒美をあげる。
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達成を額面どおりにとる
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自分によい意味でやさしくなる (これは、向上心とは拮抗しない)
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引き算ではなく、足し算思考で考える
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自己評価に20%上乗せする
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良き理解者をもつ
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身体を鍛える、ケアをする
「自尊心」 は与えられたものとは考えず、過去の影響から切り離してみる。
「これから育てるもの」 と考えよう。