top of page

被災地の 『こころ』 一年

jongjit-pramchom-211559-1024x468.jpg

2012年3月11日に、東日本大震災後1年を迎えました。 この日は、様々なメモリアルイベントが各地で行われました。 私はこの日の朝、日本の宮城県気仙沼市にある本吉病院の医療スタッフとビデオミーティングをしていました。 この本吉病院は、メディアでも取り上げられたように、震災に翻弄され、一年経った今もなお、過酷な医療状況が続いている所です。 この地に、毎月一人研修医が支援のため派遣され続けています。

気仙沼市立本吉病院支援の様子

医療リソースはまだ限られており、例えば介護が必要な方に対する必要な連携システムはまだ整っていないようです。 限られた状況の中で、最大限のことをするという草の根的な医療が進行しているのです。 また、震災によりご家族を失ったため、残されたご自分の家族を介護の手に委ねることに、より強い逡巡と罪悪感をもつ方。 雪が降るのをみて、一年前を思い出す方。 傷跡はなおもそこかしこに見られます。 ミーティングの中で、現地のスタッフからは、「こころ」 のケアに関する質問が多数ありました。 「こころ」 のケアは、今後の継続支援のキーワードの感があります。

実は、継続的な 「こころ」 のケアの必要性は、昨年末UTBを通じても訴える機会がありました。 (映像を見る

Yoga at Home

おそらく、その当時に比べ、被災地での地域のリソースはより機能してきており、「官」 によるよりしっかりしたシステムが導入されつつある感じは、そこかしこに伺われます。 今後の着実な復興を望まずにはいられません。

ロスアンゼルスにて、午後に参加した日米協会主催によるパネルディスカッションでは、この一年間の様々なボランティア支援の報告がなされました。 ABCチャンネル7で放映された震災時、そしてその後の様子を伝えるDavid Onoさんのレポートが流された時、会場の数百人の 「こころ」 が揺さぶられているのを感じました。 聴衆全体の感情が一塊となって動いている感じが、その息を飲む沈黙の中にひしひしと伝わってくるのです。

 

遠くロスアンゼルスの人々の 「こころ」 の中でも、「ああ、一年経っても、感情が続いているんだな」 と思いました。 いわんや、被災者の方々の 「こころ」 は、と思いました。 「アニバーサリーを迎える度に彼らのこころには、このことが一生去来し続ける」 というのが、その時に私の口から出た言葉でした。 パネラーの一人で、ご自身被災された方は、一方、第二の命を得たポジティブな面を語られました。 被災地でも、このムードが少しずつ生まれていっていることを祈ります。

この時期に偶然、ある方から一冊の本を借りました。 「心の傷を癒すということ」 (安克昌著 角川ソフィア文庫) というタイトルです。 1995年の阪神淡路大震災で、被災者の 「こころ」 のケアに奔走した、神戸大学ほか現地の精神科医やこころのケアの専門家たちのレポートです。 実はこの本は、当時の震災後一年が経ってからまとめられています。 つまり、今の我々と同じ一年を振り返った時点で書かれているのです。

Paramedics

これを読むと、彼らが体験し、悩み、実行したことは、我々の今回の東日本大震災の支援経験と非常に酷似していることに驚かされます。 例えば、彼が指摘した、支援者の支援 (つまり、ボランティアや医療支援者、消防士などへのサポート) の必要性はまさしく我々も今回至った結論で、現在も我々は、東日本でボランティアを続ける学生たちの「こころ」をサポートしたり、教育用の映像を提供したりしています。

一般に、災害支援は、災害の種類、場所、規模などで千差万別とされますが、そのカオスの中にあっても、阪神淡路大震災と東日本大震災を通じて、再現性のある共通項があるというのは大きな発見です。 実は私が支援に入った頃、支援のノウハウとして参考になるものを探しましたが、うまくみつかりませんでした。 安氏の著作のような過去の叡智がみつかっていれば、さぞ助かったであろうと思います。 「救援は現地に入って臨機応変に」 という原則は確かに正しいのですが、過去の知見はやはり役に立ちます。 過去の、そして今回我々の経験、学んだことをアーカイブとして、将来の災害に備えてアクセスできるようにできればよいなと思います。 それは即、人類の財産になるのではないでしょうか。

残念ながら、この著者の安氏は、数年後に若くして他界されています。 しかし、彼の著書を読むと、まるで彼と直接話しているように、彼の苦労がひしひしと伝わってきます。 このレポートを通して、彼は人類の将来に貢献し続けるのではないでしょうか。

Support Group

この本によると、災害精神医学者のラファエルはこういっているそうです。 「遺族たちは 『もう当然立ち直っているころだ』 という期待をあからさまに見せつけられることが多い」。 つまり、ある時期を経ると被災者は、周囲から立ち直りを無意識に期待されるプレッシャーで、つらい感情が表出しにくくなりうるということです。 このことは、我々一人一人が銘記しておくべきことであり、今後の 「こころ」 のケアのニーズを過小評価しないための戒めでもあるかと思います。

また、被災者の方にとっては、周囲が注意と関心を向け続け、寄り添っていてくれることが何よりの支えであると、安氏も指摘しています。

復興は進んでいるとはいえ、本吉病院のように、今なお、「こころ」 のケアのリソースが足りていない状況が被災地にはあります。 一年の節目は、継続的支援について考える通過点でもあります。

先日、私が昨年5月に被災地入りを前にして連絡を取り合った被災地のコーディネーターの方と、ひょんなことから、Emailをやりとりしました。 そもそも、その方の顔も知りませんし、連絡をとるのは、ほぼ一年ぶりだったかと思います。 その方は、引き続き支援のコーディネーションをしているようです。 心から敬意を感じると同時に、何か古い戦友にあったような不思議な気持ちになりました。

bottom of page