多様性の教科書
今の世の中はジャッジメンタルが横行していると言われます。人種差別、男女、LGBTはもちろん、さまざまなジャッジに溢れています。
多様性を受け入れられる世界の到来が叫ばれています。
ここに素晴らしい「多様性を受け入れるための教科書」がありますので、私なりの紹介をします。
アカデミー賞の最優秀作品ノミネートの映画『Green Book』と『BlacKkKlansman』です。
これら作品に見る多様性を受け入れるコツです。
1.コンタクトを持つ
『Green Book』は『Driving Miss Daisy』同様、雇い人と運転手の交流です。車で空間を共有するだけでなく、旅を通して密なコンタクトが生まれます。はじめは異種であった同士。訳あって接点が生まれ、近くて継続的なコンタクトが生まれます。離れたままでは多様性の受け入れは進みにくいでしょう。
2.意識、知識不足からの開眼
『BlacKkKlansman』では、人種問題に意識のなかったユダヤ人の警察官が出てきます。『Green Book』の主人公はイタリア系アメリカ人で、知識不足と固定観念が偏見を起こしています。これらのストーリーたちはいずれも、お互いを知る中で、固定観念を超えた異種への関心や認識が起きることで変わっていきます。カテゴリーを超える開眼のプロセスです。
3.優劣ではない
どちらがいいというものではないということです。『Green Book』でトニーは喧嘩が強く、知性派ではなく、でも家族思いで人生の楽しみ方を知っている。アフリカン・アメリカンでゲイのドクター・シャーリーは完璧主義、孤独、知的、自尊心のジレンマがある。
一見かけ離れた二人の中に尊敬と関心と共通項が生まれてきます。トニーは知的でないかもしれないけど、ドクター・シャーリーのピアノの才に、そして音楽の有無を言わせない素晴らしさに感銘を受ける。ドクター・シャーリーは、当時の黒人音楽のスタイルに批判的で、元来の喜びを忘れている。トニーと交流する中でフライドチキンが好きになり、音楽の違った楽しみ方を知る。人間は皮膚の色だけでなく、よっぽどたくさんの違いに溢れているということです。多様性の塊です。そもそも違いを優劣つけてたらやってられないですよ。それより一緒に喜べる共通点は必ずあるし、それを見つける方がよっぽどいいです。
『Green Book』と『BlacKkKlansman』では、イタリア系アメリカ人とユダヤ人といういわば白人黒人カテゴリーの臨界にあるマイノリティーが登場します。白人ではあるけどもマイノリティーの登場人物です。それが優劣の理不尽さを強調しています。
4.人間同士のすり合わせ
カテゴリーを超えた人対人のすり合わせの過程です。そしてヒトの善があぶり出される。『Green Book』で二人の乗る車のパンクを指摘する白人警察官の親切が、些細なことなのにストーリーの中ですごく沁みるのはなぜでしょう。意義ある交流と開眼には、この人間レベルのすり合わせが必須のように思います。そこで生まれた信頼や友情はカテゴリーなど吹き飛ばす。
『Green Book』の後半にこんなセリフがあります。「天才では不十分、勇気が必要」。私たちは大勢に逆らったり、大勢や一般的によしとされることから孤立することへの恐怖があります。なのでルールや固定観念にすがります。つまりジャッジメンタルは続くのです。勇気はそれを脱するものです。人種の多様性や偏見だけでなく、人間の性格や背景など万物の違いも、とどのつまりはこのジャッジメンタルを脱する勇気ではないでしょうか。