​グリーンランド 後編

クロッシングとは、氷の山々が続くグリーンランドの東西700kmを約1カ月で横断する過酷な行軍。多くの旅人の冒険心をくすぐるも、いざ実行するとなると非常に難易度の高いルートです。それを5回も成功させたというのですから、ウィルフレッドがいかに偉大な冒険家だったかが伝わってきます。

トーマスとルイザナは、ウィルフレッドの遺灰をそのクロッシングのスタート地点に埋めるために、遠路はるばるドイツから来たそうです。スタート地点はクロッシングの経路の中でも一番タシラックに近い場所。しかし、いくら最寄りとはいえ周囲には道もなく、唯一の交通手段であるボートも手配できない。1週間足を探し続けていましたが、ついに諦めドイツへ戻ろうとしていたところでした。

そんな2人の話を聞き、何やら考え込むシュテファン。こちらを振り向き、彼は私にこう相談しました。

「アキラ、君がチャーターしたボートを使って、2人の目的地へ一緒にいけないだろうか?」

 


私の旅の原則は、極力予定を立てないこと。旅先ですら予定にがんじがらめにされていては、新鮮な気づき、「ビギナーズ・マインド」から遠ざかってしまいます。マインドフルな旅をするには、目的地をあえて決めないぐらいがちょうどいいのです。

しかし、今回は極地・グリーンランド。さすがにノープランではまずいと、シュテファンとともに事前にある程度の予定は立てていました。それを、宿に到着したや否や、変更しないかというのです。

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そんな提案に対する私の答えは、一片の迷いもない“イエス”。こんなセレンディピティは滅多にありませんし、何よりウィルフレッドを思う2人の気持ちに強く心が突き動かされましたから。心が揺さぶられたら、あとはそれに従うのみ。「Go with the flow」、流れに身を任せます。

翌日、さっそく私たち4人はボートで目的地に向け出発しました。ボートを操縦するのは、イヌイットで地元では有名なクジラハンターでもあるトウビアス。私が日本人だと聞いてとても喜んでいました。1978年に犬ゾリで北極点の単独行を成功させた植村直己氏を、グリーンランドの人々は尊敬しているからだそうです。グリーンランドはやはり冒険家の土地なのです。

航海は途中大雨に見舞われ、ボートは波に煽られ馬3頭分を跨いで乗っているような揺れ具合。そして、寒い、寒い、寒い。「これが普通だ」と笑う3人のドイツ人をよそに寒さが特に苦手な私はブルブルと震えてしまいました。

 


波が少し鎮まり、ふとボートの外に目をやると、コバルトブルーの海が広がっていました。まるで吸い込まれてしまいそうな、透き通った蒼。遠くには流氷が流れています。

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目的地に程近い岸に到着し、キャンプで一夜過ごします。翌朝、私たちはクロッシングのスタート地点を目掛け、登山を開始。西の氷河をはるか見渡せる山頂にたどり着くと、岩で小さな社を立て、そこにウィルフレッドの遺灰を埋葬しました。このとき、トーマスとルイザナはほっとしていたのか、寂しさに浸っていたのか。彼らが実際に何を思っていたのかは私には分かりません。

しかし私は、この瞬間のために当初の予定を変えてでも彼らに帯同したのだと確信しました。「友情ある弔い」の一部になれてよかった、と心から感じたのです。

 

キャンプ地を離れるときの天気は快晴。海はまるで鏡のように輝いていて、私たちを乗せたボートがその上を滑るように進んでいきます。周りには割れたガラスのような鋭い氷塊があちらこちらに浮かんでいます。白と青だけで彩られた世界。空には一羽のカモメが、ボートを先導するように飛んでいました。

 

トーマスとルイザナとは途中で別れることになりました。偶然の出会いがなければ知ることがなかった2人、流れに身を任せていなければ見ることのなかった景色でした。

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再び2人になった私とシュテファンは巨大な氷河を求め、Knud Rasmussen Glacier (Apuseeq)と呼ばれる土地に向かいました。Google マップにも載っていない土地です。道中にあるのは、名も無き山に、河に、土。誰の手垢も着いていない、誰にも所有されていない“本物の自然”がそこにはありました。

辺境は習慣の対極。一歩進むごとに、慣れ親しんだ枠組みや日々のしがらみから心が解放されていきます。



氷河の淵まで辿り着き下を見下ろすと、上流まで剣山のような氷の角が何キロも連なっています。傍にある岩に座り、ぴんと冷たく張り詰めた空気を吸い込んで、目を閉じると、大自然のスケールと時間の流れに自分がどんどん溶け込んでいきます。これぞ、本当のマインドフルネス、普段の思考や理屈から外れ、五感で世界を感じる瞬間でした。

こうして数日間過ごし、ついに最終日の夕方。私たちが心のどこかでずっと待ち望んでいた瞬間は急に訪れました。氷河の大崩壊です。

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ジェット機とも工事現場とも思える大騒音とともに、幅2.5キロ、高さ67メートルの氷河の突端が海に向かって崩れ落ちました。それに続き、水面下に長年身を潜めていた氷河の一部が、潜水艦のようにぽっこり顔を出します。

最初の崩壊を合図にしたかのように、次々崩れていく氷の塊。打ちつけられ生じた大波が、近くの岸を力強く打ちつけます。

しばらくすると、崩れ細かくなった氷河が水面に集まり、真っ白な絨毯をさっと敷くように広がっていきます。パキパキと静かだが鋭い音がそこら中に響き渡りました。

 

大声を発しながら興奮した様子でカメラを向けるシュテファンと、ただ呆気にとられ息を飲み目の前の光景を凝視する私。2人が集中する先は、“本物の自然”の一大劇だけでした。

色、音、匂い、寒さ、口の渇き。五感で“本物の自然”を捉えていたのです。

崩落が鎮まりかけた頃に、シュテファンはカメラから顔をあげ、興奮冷めやらぬ様子で言いました。

「きっとYouTubeにのせたら300万ビューだよ。タイトルは『グローバル・ウォーミング』でどうだ!」

思わず吹き出した私とシュテファンの笑い声が、冷たい空気に溶け込んでいきました。