ある小さなマインドフルネスのグループを定期的に開催していて、繰り返しリクエストのあるテーマがあります。
「自己受容」、つまり自分を受け入れる、自分を好きになるにはどうしたらいいのかということです。
日本ではアドラー心理学の「嫌われる勇気」がベストセラーになりました。この中でも触れられている自己受容が、読んでみたけど難しいし、やっぱりできない、という方がいるかもしれません。
私の個人的意見は、自分を好きになるには「諦める」です。とても乱暴でありきたりな言葉ですが、そう思います。
アドラーさんは、50代前に第一次大戦に軍医として参加しています。その後でしょうか、「共同体感覚」という表現で、自分より他者(他者信頼、貢献)へ焦点を置くことに到達したようです。
戦争など非常時は、言ってみれば道徳の教科書です。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、コロナでも、心の底からの道徳が問われています。それはまるで淀んだ上澄みをかき分け、底にある綺麗な価値観を見つける作業のようなものです。非常時は待った無しですから、それが否応無しに鋭く起こります。
コロナの中で、マスクをしますか、それとも自分の主張を優先しますか?などが道徳的クエスチョンです。
パンデミックを扱った「ペスト」の著者カミュさんも、戦争の経験が背景に色濃くあって、あの名作で深い道徳を語りかけました。「星の王子様」のサン=テグジュペリも戦争の飛行士ですし、よく見渡すと、多くの社会的一大事が芸術家を感化してきました。そして道徳を映し出してきたのです。アドラーさんは、50代前に第一次大戦に軍医として参加しています。その後でしょうか、「共同体感覚」という表現で、自分より他者(他者信頼、貢献)へ焦点を置くことに到達したようです。
戦争など非常時は、言ってみれば道徳の教科書です。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、コロナでも、心の底からの道徳が問われています。それはまるで淀んだ上澄みをかき分け、底にある綺麗な価値観を見つける作業のようなものです。非常時は待った無しですから、それが否応無しに鋭く起こります。
さて、脱線しましたが、アドラーさんは、50代前後に戦争に接して、あの「共同体感覚」という崇高な概念に至ったのではないでしょうか。
50代は、「統合」の時ともされますが、つまり、ギラギラから、角が取れて、自分自分からより周囲へと目が向き、まろやかになる時です。そこへ、戦争という人道がかき乱されるような出来事に会ったことで、この概念へ導かれるのが促進されたのでしょう。
興味深いのは、マインドフルネスでもアドラー心理学でも「利他」「滅私」に価値を置いているところです。「感謝する」とか「他者貢献」という表現がアドラーには出てきます。洋の東西を問わない価値なのでしょう。
アドラーさんは、自分への執着ではなく他者をとにかく信頼して、と言いますが、こういった利他的なプロセスは、ある年齢や状況に置かれないと難しいのかもしれません。
なので、長くなりましたが、「嫌われる勇気」を読んで自己受容が難しいと言う場合、読者の年齢も関係しているのかなと思います。
自分を魅せるための40代から、ひとしきりした50代前後には、「いい意味の」諦めが起きるわけです。しがない自己でもいいかなと「諦め=受け入れ」が進みますから。この諦めが「自己受容」のキーワードと思われます。
では40代までは、自分を好きになるためにどうすればいいでしょうか?
私が思うのは、自分を輝かせるのにしっかり精進してください、でしょうか。ただし、その精進の評価は、自分の目で行ってください。人の目は可能な限りシャットアウトです。
向上心は良いことです。自分を高めようとする欲求は人間本来です。「人の目から見たゴールにならない」ことだけを気をつけましょう。
人の目(評価)から解放されるのは本当に難しい。なぜでしょう。
おそらく、ヒトは愛情を欲する生物だからでしょう。そして、団体で生きるために、承認欲求は必須なのです。愛情と安全を確保するために。そう考えると、人間は不自由に生きる宿命を持っているのかもしれません。
「人の目」は動く的です。動いている的を射るのは難しいでしょう?「ロバを売りに行く親子」というイソップ寓話がありますが、あれです。世論はこうすればああ言う。
アドラーも、「他者はあなたの期待を満たすために存在しているのではない」という名言を残しています。人の目からの解放のヒントになります。
ほかに自分を好きになるコツは、「自分に興味を持ってください」。
例えば、16のパーソナリティ(性格)テストというのがあるのでやってみてください。自分のことを事細かく知るチャンスになります。自分を知り、興味を持ってあげる。こういったテストには、ポジティブな面も必ず書かれているので、しっかり鵜呑みにしましょう。
それから、性格は変わりうる。このテストをすると、年月で結果が変わることに気づきます。ちょっと客観的に移りゆく自分をみつめるのもいいじゃないですか。
「自分への期待はほどほどに」。自分を好きになれないという時、自分に期待していませんか?それってエゴではないですか?
滅私の精神はここでも役に立ちます。アドラーも自己執着と表現して、エゴを諌めています。
自分を悪い方に歪めてみてしまうフィルターを外すヒントを一つ。「自分をルームメイトだと思ってください」。これを「ルームメイト効果」と言っています。
ある他人と、一年間部屋をともにしなければいけない。この他人があなたです。一緒に住んでいると、いやなところが見えてきます。険悪な空気になることも頻繁でしょう。
でも一緒に住むしかないのですから、なんとか折り合っていくじゃないですか。そして、ひょっとしたら、嫌いだった面がプラスに見えてきたり。あの感覚ですね。自分を他人と思ってもいいのです。
自分を好きになるには、いい意味の諦めが来るのを待ちましょう。
それまでは、ちょっとやっかいなルームメイトと思って折り合っていきましょう。ちょっと自分の目を磨いたり、ちょっと人助けをしたりしながら、やり過ごしていければ御の字です。