top of page

被災地の「こころ」2

また、6月派遣時、現地からの日記で始めます。

jordy-meow-4843-1024x367.jpg

6月9日 Day 6

被災した某病院へ立ち寄る。 一階浸水、周囲は全壊。 ここの看護士さんは自分の車で内陸 (つまり高台のあるところ) へと逃げる。 水が達してきて、それを避け、選んだ進路で幸い一命をとりとめた。 生死の分かれ目はそこかしこにあり、しかも紙一重である。

 

朝4時からは、被害のひどかった地域を見学。 魚市場の上に車がまだ乗っかっている。 惨状をみたあと、朝刊を読んでいた女医さんは急に泣き始める。 記事は、某病院で津波で浸水した4階の病室から入院患者を救おうとした医療者について。 引き潮で流されていく人間たちを、「みるなー。」

復路の車内ラジオからは青葉城恋唄。 避難所で入所者から、この歌を歌うよう何度もリクエストされる。 「あの人はもういない。」

6月11日 Day 8

震災後、3ヶ月、100日という節目は近い。 トイレのフラッシュの際、水の満ち引きの音で記憶がよみがえるという女性。 寝室をあけると、目線より高い波が、トラックなどをまきこみながら向かってきた、という、災害時記憶。

 

* この方には、この場所を去る際、豚のこっけいな顔の布でできた小さな人形を手渡す。 「トイレへ行く際は、これをお持ちください。こちらへ注意を向けられたらよいかもしれませんよ。」 (その後、「お守り」 としてトイレへ持参されているようだ。)

今回の震災の一つの特徴は、生と死がくっきり分かれた事だといわれている。 DMATと呼ばれる負傷者を救援する部隊には、あまり役割がなかったという。

それを象徴するかのような以下の写真をみていただきたい。

pic_column_02_01.jpg
pic_column_02_02.jpg

これは私が、宮城県石巻市を訪れた際に撮影したものである。 市街地からやや内陸には高台がある。 ほぼ海面レベルの市街地と、高台の境界を写したものだ。 これをみた時、その境界が何とはっきりしているかと思った。 言ってみれば、生と死の境界である。

紙一重である。

片や焼け野原のような惨状、片や限りなく平常を維持している。 今、避難所—仮設住宅へと避難生活をしている人々は、言ってみればこの紙一重の差で戻る場所を失った。 あるいは身近な生を失った。 そして、それまで同じコミュニティーで過していた者同志は、永遠に分たれたようだ。 つまり、避難生活をしている人々は、おそらく、この住み慣れたコミュニティーへ帰ることはないだろう。 そのかわり、全く異なったコミュニティー、環境へと入っていく事になる。 この紙一重の差でだ。 彼らの蹂躙された人生の一部が垣間見れるかと思う。

そして、この境界は普段我々が目にしない、生と死の境も表している。

三島由紀夫は、死はダイアモンドのようだと例えた。 その極めて硬質な 「死」 に、我々が何かの拍子に接近した時、我々の 「生」 の強さが試されるのだという。 「生」 がサファイアほどの強さでしかないなら、「死」 に砕かれてしまう。

被災者の 「こころ」 は、いま、様々な意味で挑戦をうけている

bottom of page